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桜美林中学校・高等学校

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沿革
1946年 桜美林学園設立、高等女学校を設置
1947年 学制改革により桜美林中学校に改組
1948年 学制改革により桜美林高等学校に改組

部活動の主な実績
硬式野球部
1967年 第39回選抜高等学校野球大会出場
1973年 第45回選抜高等学校野球大会出場(現TBSアナウンサー林正浩が在籍)
1976年 第58回全国高等学校野球選手権大会初出場・優勝
1977年 第49回選抜高等学校野球大会出場
1977年 第59回全国高等学校野球選手権大会出場
1981年 第53回選抜高等学校野球大会出場
1983年 第55回選抜高等学校野球大会出場
1998年 第80回全国高等学校野球選手権大会出場
2001年 第73回選抜高等学校野球大会出場
2002年 第84回全国高等学校野球選手権大会出場

交通
JR横浜線 淵野辺駅 徒歩20分
JR横浜線 淵野辺駅および京王相模原線・小田急多摩線 多摩センター駅よりスクールバスを運行

主な出身者
ホキ徳田(故ヘンリー・ミラー夫人。元ジャズ歌手)
本田路津子(フォークシンガー)
鈴木麗子(声優)
大川めぐみ(元女優)
諏訪マリー(中学校卒、歌手、女優)
小椋礼(女優)
前田愛(女優)
前田亜季(女優)
安部兼章(ファッションデザイナー)
古今亭菊千代(文学部卒、女流落語家落語協会会員)
林正浩(TBSアナウンサー)
皆藤慎太郎(フリーアナウンサー)
荒井千里(フリーアナウンサー)
岡本妙子(パーソナリティ)
夏木陽介(俳優)
蔡兆申(物理学者・2004年仁科記念賞受賞)
西村協(中学校卒、歌手)
清原タケシ(歌手)
諸星裕(桜美林大学大学院教授・コメンテーター)
野田正義(社会人野球・TDK所属)
荻野忠寛(プロ野球選手・千葉ロッテマリーンズ)
吉崎清富(現代音楽作曲家)
横山正人(横浜市市議会議員・青葉区選出)
岡崎礼(俳優)
佐々木基樹(プロボクサー)
佐々木クリス(ヒップホップアーティスト、プロバスケットボール選手)
福田麻由子(女優)
一戸敏(実業家)
北村花絵(テレビ静岡アナウンサー)


川崎市立御幸中学校

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概要
「あいさつ、時間、清掃」を学校生活の目標とした「御幸の三本柱」というものがある。校名の「御幸」は1884年(明治17年)に小向村の小向梅林に明治天皇が行幸(御幸)したことを記念して命名された。

教育目標
節義(みさお)
強い心身をつくり、中学生らしい行動をとる。
誠心(まこと)
深く考え、よりよい学校をつくる。
奉仕の心を養い、実践する。
理想(のぞみ)
他人を尊重し、自分の言動に責任をもつ。
自分に厳しく、人には親切にする。

沿革
1947年(昭和22年)
5月5日 - 南河原小学校にて開校式ならびに入学式、授業は溝ノ口331番地の旧制川崎市立橘中学校(川崎市立橘高等学校の前身校)にて実施。生徒数405名(1・2年生のみ)。職員数11名。
1978年(昭和53年)4月29日 - 30周年記念碑除幕式
1991年(平成3年)4月11日 - 格技室・プール完成
1997年(平成9年)11月15日 - 創立50周年記念式典挙行

特別活動
特別活動として、生徒会活動(川崎市立御幸中学校生徒会)や委員会活動、学校行事が存在する。

委員会
1学年学級委員会、2学年学級委員会、3学年学級委員会、視聴覚委員会、保健委員会、生活委員会、福祉委員会、環境美化委員会、体育委員会、新聞委員会、図書委員会

課外活動
課外活動の一環として各種の部活動が行われている。
運動部
野球部、サッカー部、男子ソフトテニス部、女子ソフトテニス部、男子バスケットボール部、女子バスケットボール部、男子バドミントン部、女子バドミントン部、女子バレーボール部、陸上部、水泳部、卓球部、柔道部、相撲部、剣道部、駅伝部(駅伝大会の時期のみ)
文化部
美術部、吹奏楽部、家庭科部、コンピュータ部、演劇部、書道部

通学区域
小向、小向町、小向仲野町、小向西町、戸手、戸手本町、紺屋町、神明町、遠藤町、河原町

学区小学校
川崎市立御幸小学校、川崎市立西御幸小学校、川崎市立戸手小学校、川崎市立幸町小学校

著名な出身者
山下秀男(実業家、前同窓会長、平成25年春の叙勲:旭日雙光章、神奈川県県民功労表彰、川崎市交通安全協会会長、川崎南法人会相談役、他)第2期卒
佐藤征一郎(声楽家、川崎市市民文化大使、洗足学園音楽大学名誉教授)第8期卒
鏑木茂哉(かぶらきしげや、現同窓会長、川崎市議会議員、元市議会議長)第15期卒
竹間幸一(川崎市議会議員)第15期卒
根本りつ子(女優)第25期卒
河野忠正(川崎市議会議員)第27期卒
吉濱遼平(プロサッカー選手、湘南ベルマーレ所属)第60期卒



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川口市立戸塚西中学校

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交通
埼玉高速鉄道線戸塚安行駅下車、徒歩15分。

沿革
1996年4月1日 - 開校

教育目標
自ら学び、よく考える生徒
互いに協力し、思いやりのある生徒
心身ともにたくましい生徒
勤労を尊ぶ生徒

部活動

運動部
サッカー部
野球部
体操部
バスケットボール部
バレーボール部
ハンドボール部
ソフトテニス部
卓球部
水泳部
剣道部
陸上部
トレーニング部

文化部
美術部
吹奏楽部
文芸部
将棋部
家庭科部
科学部

その他

部活動が盛んである。水泳部は全国大会に何度も出場している。体操部も以前全国大会に出場した。他にもテニス部なども関東大会出場や、剣道部やハンドボール部が県大会出場と、好成績を残し続けている。


八王子学園八王子中学校・高等学校

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概要
2008年に創立80周年を迎えた。生徒の個性に合わせた5つのコースで構成されており、在校生はおよそ1800人である。
高校入試の際、都外在住の生徒を対象としたB推薦制度(内申点に関係なく当日のテストの点数のみで合否を判断する)が設けられている。

沿革
1928年4月1日 - 多摩勤労中学として設立。
1933年4月 - 八王子中学校に改称。
1935年 - 文部省から認可される。
1948年 - 学制改革により八王子高等学校に改称。
2008年 - 創立80周年記念式典。
2012年 - 八王子学園八王子中学校が開校し、中高一貫教育が開始される。それに伴い、高校も八王子学園八王子高等学校に改称する。

設置コース
文理特進コース:AO入試・指定校推薦原則不可
文理進学コース:AO入試・指定校推薦原則不可
文理普通コース
芸術コース
音楽専攻
美術専攻
英語コースは2012年度から募集なし。

部活動
体育系ではバスケットボール部がインターハイ8回出場(2010年には初優勝)、ウィンターカップ5回出場、文系では吹奏楽部が多くのコンテスト・コンクールでの金賞受賞や第35回ウィーン世界青少年音楽祭吹奏楽部門第1位・ウィーン大賞受賞などの成績を残している。

交通
JR中央線西八王子駅 徒歩5分

著名な出身者
三田明(歌手)
平塚利男(発明家)
小川直也(柔道オリンピック銀メダリスト、プロレスラー)
田中雅美(水泳選手)
Mie(JJ専属モデル)
長田武士(元公明党衆議院議員)
山田哲也(バスケットボール、日立所属)
井上聡人(バスケットボール、トヨタ自動車所属)
比留木謙司 - プロバスケットボール選手(レラカムイ北海道所属):2005年卒業
中島唱子(女優)
佐野秀匡(水泳選手)
川瀬賢太郎(指揮者)
加藤貴大(プロ野球選手)
桑原裕子(劇作家)

横浜市立領家中学校

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沿革
1986年(昭和61年)4月1日 - 開校
1986年(昭和61年)7月12日 - PTA設立。
1986年(昭和61年)7月18日 - 標準服制定。
1986年(昭和61年)10月1日 - 開校記念日を6月5日に制定。
1986年(昭和61年)10月26日 - 校章を制定。
1986年(昭和61年)12月24日 - 校旗を制定。
1987年(昭和62年)1月24日 - 校歌を制定(2月28日校歌制定発表会並びに記念像除幕式)。
1987年(昭和62年)5月27日 - 横浜市安全教育振興会に加入。
1988年(昭和63年)1月30日 - 後援会(同窓会)設立。
1992年(平成4年)3月30日 - 創立10周年記念式典挙行。
1996年(平成8年)4月1日 - 特別支援学級設立。
2006年(平成18年)11月5日 - 創立20周年記念音楽祭挙行(関内ホールにて)。

部活動
陸上競技部
バスケットボール部
ソフトテニス部
サッカー部
バレーボール部
バドミントン部
柔道部
野球部
吹奏楽部
囲碁部
茶道部
美術部
新体操部

所在地
神奈川県横浜市泉区領家4-3-1

交通
横浜市営地下鉄踊場駅より徒歩約15分
神奈川中央交通領家中学校停より徒歩約3分

関係者
教職員
榎田卓央 - 元テレビ東京アナウンサー。2009年より民間人校長として、同校の校長に就任。
著名な出身者
板野友美(2007年卒業) - 元AKB48。歌手、タレント、ファッションモデル。ホリプロ所属。板野成美の姉。
板野成美(2011年卒業) - タレント。板野友美の妹。
オオゼキタク - 歌手。シンガーソングライター。

地域の歴史
かつて岡津村大字領家と呼ばれ、竜花(領家)にまつわる伝説上の呼び名や、平安時代領家と呼ぶようになった由来など歴史的に由緒ある地名であることから、地名をもって校名とした。



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成田市立遠山中学校

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概要
千葉県の北部、北総台地の準のうそ運地帯にあった本学区は、新東京国際空港建設に伴う激動の時期を乗り越え、騒音地域に入ると共に豊かな自然の中に近代的な新しいものとが同居する地区でもある。近年、住宅地の造成が進み、新住民が急激に増えている。

沿革
1947年(昭和22年) - 遠山村立遠山中学校認可。
1950年(昭和25年) - 遠山小学校新築に伴い、旧遠山小学校校舎を遠山中学校とする。
1954年(昭和29年) - 町村合併により成田市立遠山中学校に改称。

教育目標
「たくましく生き、人間性豊かで、判断力と実践力のある生徒の育成を図る。」
知・徳・体を育みバランス感覚のよい人間形成を目指す

部活動
陸上競技 ソフトテニス 軟式野球 剣道 サッカー 卓球
バレーボール バスケットボール バドミントン 吹奏楽部 美術

学区
遠山小学校・東小学校・三里塚小学校・本城小学校の学区を含む。
小菅、大山、久米野、吉倉、川栗、畑ケ田、大清水、三里塚、本三里塚、本城、南三里塚、東三里塚、駒井野、取香、堀之内、新駒井野、長田、十余三、天神峰、東峰、古込、木の根、天浪、三里塚光ケ丘、三里塚御料、西三里塚



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日本大学第三中学校・高等学校

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概観
1929年(昭和4年)、旧制赤坂中学校(東京都港区赤坂)が日本大学に経営を移管し、日本大学付属赤坂中学校として開校。翌年、日本大学第三中学校と改称。
もっとも同校の起源を遡れば、1891年(明治24年)4月に開設された高等商業学校予備門に始まる。同予備門は、高等商業学校(現在の一橋大学)の入学志望者を養成するため、高等商業学校校長・矢野二郎のもと、同学教授・宮松兼三郎によって東京市麹町区大手町1丁目1番地(現在の東京都千代田区大手町1丁目)に開設された。
1893年(明治26年)4月には中学校令に準據するため、新たに私立商工中学校として開校した。この高商予備門の系譜を引く商工中学校は、当時より難関であった東京高等商業学校(現在の一橋大学)と東京高等工業学校(現在の東京工業大学)への進学を目的とした旧制中学校で、毎年40~50名、多い年は70名以上の高商進学者を輩出していた。[1]
1917年(大正6年)4月には、商工中学校発祥の地である大手町界隈の環境変化にともない、東京市赤坂区中ノ町8番地(現在の東京都港区赤坂6丁目)の旧中ノ町小学校跡地に移転、校名も私立赤坂中学校と改称した。しかし、その後、赤坂中学校は経営危機に陥ったため、前述のとおり、日本大学の付属校となり、学校経営が日本大学に移管された。(この件に関して日本大学側は合併としている。)
旧制赤坂中学校の運営を担うこととなった日本大学は、1929年(昭和4年)10月の合併当初より、同校の校名を日本大学付属赤坂中学校としていたが、学校経営の改革と統治を推し進めるなか、翌1930年(昭和5年)10月、同校の校名を日本大学第三中学校と改称。さらには、旧来の学校組織を刷新し、日本大学本部より鎌田彦一を同校の総務に配属し、経営再建に当らせた。その後、理事長・校長に就任する鎌田によって、現在の日大三中・三高の基礎が築かれた。 また、鎌田は、日大三中開校当初より、硬式野球部の強化に努め、戦前より全国レベルの力を保持する名門野球部の構築に大きく貢献した。同野球部は過去、甲子園大会で優勝3回(1971年春・2001年夏・2011年夏)、準優勝3回(1962年春・1972年春・2010年春)、明治神宮大会で優勝1回(2010年)を果たしている。(日大三高赤坂時代の硬式野球部練習場兼合宿所は、東京・調布市柴崎に在り、彼の地をかつての鎌田の功績と遺徳を偲んで、別名・“鎌田球場”と称していた。現在、同地は鹿島建設柴崎グラウンドとしてかつての面影を今に残している。)
前述のとおり、同校は前身の商工中学校の移転以来、永らく東京・赤坂の地に本拠を置いていたが、1976年(昭和51年)4月、将来の教育に対応する理想的な環境を求め、東京都町田市に15万㎡の校地を擁する『丘の上のキャンパス』を建設し全面移転した。その後、中高共学化、高等学校に特別進学クラスとスポーツクラスを設置するなどの学校改革を経て現在に至る。
なお、学校法人・日本大学第三学園は、同校の創立を旧制赤坂中学校が日本大学の付属校となった1929年(昭和4年)10月としているが、前身である商工中学校並びに赤坂中学校の歴史を伝えるものとして、スクールカラー(darkslateblue)が商工中学校並びに赤坂中学校のものであること、同校第二応援歌として制定された赤坂中学校の校歌が残されている。(この第二応援歌は同校硬式野球部の公式戦のうち、甲子園大会の決勝戦でのみ演奏されている。)

運営
学校法人 日本大学第三学園
沿革[編集]
1891年(明治24年) - 高等商業学校予備門 開設(東京都千代田区大手町)
1893年(明治26年) - 私立商工中学校 開校
1917年(大正6年) - 私立赤坂中学校と改称(東京都港区赤坂)
1929年(昭和4年) - 日本大学付属赤坂中学校 開校
1930年(昭和5年) - 日本大学第三中学校と改称
1930年(昭和5年) - 日本大学第三商業学校(定時制)を併設開校
1944年(昭和19年) - 戦時統制により商業学校を工業学校に転換(翌年商業学校に復帰)
1946年(昭和21年) - 日本大学より財団分離して財団法人日本第三学園を設立
1947年(昭和22年) - 学制改革により新制中学校に移行
1948年(昭和23年) - 新制高等学校を併設開校(商業学校を吸収)
1951年(昭和26年) - 私立学校法に基づき学校法人日本大学第三学園に改組
1973年(昭和48年) - 日本大学が特別付属校に指定
1976年(昭和51年) - 東京都町田市『丘の上のキャンパス』に全面移転
1987年(昭和62年) - 高校を共学化
1991年(平成3年) - 中学を共学化
1992年(平成4年) - 高校にスポーツクラスを設置(1996年女子生徒の入学により、共学化)
1997年(平成9年) - 高校に特別進学クラスを設置(2003年理数系国公立・難関私大、医科歯科系コースに変更)

教育目標
「明・正・強」の建学の精神に徹し、質実剛健、明朗闊達、気品のある人格を養う。
学問を愛し、礼儀を尊び、社会と人生に対する深い理解と公正な判断力を養う。
自主独立の気風と志操を保ち、実行力に富む人材を養う。
環境の整理と美化に意を用い、清潔を重んじる気風を作り、あわせて健康な身体を養う。

最寄り駅・バス停
横浜線・小田急小田原線 町田駅(町田バスセンター)
15番のりばから、[町16]急行・日大三高行に乗車、終点で下車。
12番のりばから、[町27]小山田行に乗車、日大三高入口で下車、徒歩5分程度。
12番のりばから、[町31]多摩丘陵病院行に乗車、日大三高東で下車、徒歩5分程度。
11番のりばから、[町39]市立室内プール経由 野津田車庫行に乗車、日大三高入口で下車、徒歩5分程度。
11番のりばから、[町26]野津田車庫行に乗車、図師大橋下車、徒歩15分程度。
横浜線 淵野辺駅(北口)
直行・日大三高行、小山田桜台経由日大三高行に乗車、終点で下車。
野津田車庫行・鶴川駅行・登戸行に乗車、図師大橋下車、徒歩15分程度。
京王相模原線・小田急多摩線・多摩都市モノレール 多摩センター駅 停留所案内
11番のりばから急行・日大三高行、各停・日大三高行に乗車、終点で下車。

出身者
政治・経済
中島久万吉(政治家、実業家、男爵)
磯野長蔵(実業家、キリンビール、明治屋社長)
貝島太市(実業家、石炭財閥)
菅礼之助(実業家、東京電力会長)
森恪(政治家)
伊藤平治郎(政治家)
池邊龍一(元東洋拓殖総裁、元首相秘書官)
松村眞一郎(参議院議員、農林次官 1929年)
川島宏(東急ストア会長)
井上強一(クリナップ社長)
原田憲治(政治家、衆議院議員)
是枝周樹(ミロク情報サービス社長)
玉野重富 (タマアンドミラトン・ジャパン創業者)
増田文彦(株式会社ヤマダ・ウッドハウス代表取締役社長 タマホーム株式会社元専務取締役)
文化
津村秀松(高等商業学校(現一橋大学)教授、神戸高商(現神戸大学)教授)
堀光亀(東京商科大学(現一橋大学)付属専門部主事)
内池廉吉(神戸高商教授、東京高商(現一橋大学)教授)
田崎慎治(神戸商業大学(現神戸大学)初代学長)
田尻常雄(長崎高商(現長崎大学)校長、横浜高商(現横浜国立大学)初代校長)
坂西由蔵(神戸高商教授)
西川正治(東京帝国大学名誉教授)
石橋栄達(旧制第三高等学校、京都医科大学(現京都大学)教授)
竹内寿太郎(東京電機大学教授)
黒川兼三郎(早稲田大学教授)
藤沢傳(一橋大学教授)
西尾孝(早稲田大学教授)
岡本一平(漫画家、作詞家、小説家)
菅裸馬(俳人)
池田大伍(劇作家)
岩田藤七(ガラス工芸家)
野口真造(染織工芸家)
小野佐世男(漫画家、画家、随筆家、小説家)
邦枝完二(小説家)
茂田井武(画家)
丹生忍冬斎(画家)
秋谷豊(詩人)
辻邦生(小説家)
榊田敬二(俳優)
大川橋蔵(俳優)
若山富三郎(俳優)
村上不二夫(俳優)
佐藤允(俳優)
根津甚八(俳優)
ショー・コスギ(俳優)
Dr.コパ(本名:小林祥晃/建築家)
立川志らく(本名:新間一弘/落語家)
竹島悟史(音楽家、NHK交響楽団打楽器奏者)
小川類(作曲家)
森久保祥太郎(声優)
相馬幸人(声優)
光石富士朗(映画監督)
ネイバーユース(アーティスト)
齋藤ヤスカ(俳優、日本大学第三中学校卒業)
行田旭(俳優、劇団民藝所属)
吉原炎上(俳優、中退)
清水富美加(女優、モデル、日本大学第三中学校卒業)
野球選手
根本陸夫(元西武ライオンズ監督、元福岡ダイエーホークス球団社長、野球殿堂)
関根潤三(元ヤクルトスワローズ監督、野球殿堂)
田口周(日本大学第三高等学校野球部第6代監督、元ヤクルトスワローズ球団社長)
青木幸造(元プロ野球選手)
山下譲(元プロ野球選手)
上林繁次郎(元東急フライヤーズ選手)
坂本茂(元読売ジャイアンツ・近鉄バファローズ、国民リーグ 大塚アスレチックス選手)
鬼頭政一(元太平洋クラブライオンズ監督)
今泉勝義(元プロ野球選手)
若杉輝明(元プロ野球選手)
宮沢重雄(元大洋ホエールズ選手)
並木輝男(元阪神タイガース・東京オリオンズ選手)
金博昭(元プロ野球選手)
萩原宏久(日本大学第三高等学校野球部第9代監督、元読売巨人軍チーフトレーナー)
千原陽三郎(元中日ドラゴンズ選手)
大橋穣(元東映フライヤーズ、阪急ブレーブス選手)
石塚雅二(元ヤクルトアトムズ選手)
佐藤道郎(元中日ドラゴンズ二軍監督)
古賀正明(元プロ野球選手)
畑野実(元プロ野球選手)
柴田民男(元プロ野球選手)
吉沢俊幸(元阪急ブレーブス選手)
待井昇(元太平洋クラブライオンズ選手)
福島孝二(元プロ野球選手)
豊田誠佑(元中日ドラゴンズ選手)
小倉全由(関東一高・日大三高野球部監督)
福王昭仁(元読売ジャイアンツ選手)
宮下昌己(元中日ドラゴンズ投手)
野林大樹(元近鉄バファローズ・広島東洋カープ・ヤクルトスワローズ選手)
桑認(元近鉄バファローズ選手)
内田和也(元西武ライオンズ選手)
千葉英貴(元横浜ベイスターズ選手)
近藤一樹(オリックス・バファローズ選手)
都築克幸(元中日ドラゴンズ選手)
荒木郁也(阪神タイガース選手)
吉田裕太(千葉ロッテマリーンズ選手)
山崎福也(オリックス・バファローズ選手)
野球以外のスポーツ
安部奈知(元ボブスレー選手、元アメリカンフットボール選手、日本大学フェニックス・リクルートシーガルズ)
片山右京(元F1ドライバー、登山家)

上尾市立大谷中学校

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沿革
1985年4月1日 - 上尾市学校設置条例の改正により、上尾市立西中学校、上尾市立南中学校より分離し、上尾市立大谷中学校として開校。 6月28日 - 校章制定。6月28日を開校記念日とする。1月25日 - 落成記念式典。
1991年3月 - 武道館竣工。
1997年12月 - 空き教室転用による教育相談室改修工事
2003年5月 - 空き教室転用による図書室改修工事。
2008年8月 - 体育館ギャラリー通路設置
2009年2月 - 第55回埼玉県学校歯科保健コンクール最優秀校受賞(小規模校の部)V1
2010年2月 - 第56回埼玉県学校歯科保健コンクール最優秀校受賞(小規模校の部)V2 10月 - 第49回全日本学校歯科保健優良校表彰で奨励賞受賞7月 - 体育館床改修工事
2011年2月 - 第57回埼玉県学校歯科保健コンクール最優秀校受賞(小規模校の部)V3
2012年2月 - 第58回埼玉県学校歯科保健コンクール最優秀校受賞(小規模校の部)V4 10月 - 第51回全日本学校歯科保健優良校表彰で奨励賞受賞
2013年2月 - 第59回埼玉県学校歯科保健コンクール特別表彰受賞(小規模校の部)V5

朝のあいさつ運動

朝のあいさつ運動とは、毎週水曜日、登校してくる生徒に大谷中職員、当番の保護者、生活委員会、生徒会役員、担当となった部活動等があいさつを行う運動。 読売新聞や上尾市広報等に掲載されたことがあるそうだ。 あいさつを呼びかける人は「さわやかあいさつDAY」と書かれた旗を持ちあいさつする。 このあいさつ運動を実施することで生徒と先生との距離が縮まる。

大谷中学校教育目標

目指す生徒像
1.自ら学び考える生徒
2.心豊かな生徒
3.心身ともに健康な生徒

大谷中3つのめ
1.まじめ
2.けじめ
3.ゆめ

部活動

運動部
軟式野球部
サッカー部
卓球部(男)
バスケットボール部(男・女)
バドミントン部(男・女)
ソフトテニス部(女)
バレーボール部(女)

文化部
吹奏楽部
美術部



八王子市立椚田中学校

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学級規模
 生徒数は1学年233名、2学年228名、3学年225名、合計686名である(平成26年4月8日現在)。八王子市立中学校では最も生徒数が多い。

沿革
1978年(昭和53年)4月1日 - 開校。
1980年(昭和55年)3月31日 - 東校舎増築完成。
1986年(昭和61年)9月1日 - 東側に新校舎増築完成。
1990年(平成2年)3月31日 - 多目的ホール増築完成。
2006年(平成18年)11月1日 - 30周年記念式典。

教育目標
進んで学習する人になろう
仕事に精を出す人になろう
心身共に健康で思いやりのある人になろう

学区
 八王子市は全域で学校選択制を採用しているが、椚田小学校、横山第一小学校、緑が丘小学校からの入学が多い。

所在地
東京都八王子市椚田町172番地

アクセス
京王高尾線・めじろ台駅より徒歩
めじろ台駅、JR中央線八王子駅または高尾駅から京王バス・大巻観音・館事務所または館事務所バス停より徒歩1分
めじろ台駅、JR中央線西八王子駅から京王バス・椚田バス停より徒歩3分

玉川学園中学部

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概要
1929年(昭和4年)、財団法人玉川学園として設立認可、1951年(昭和26年)、私立学校法による学校法人に改組。現在は、玉川学園幼稚部(学校教育法第1条の幼稚園)、玉川学園小学部(同小学校)、玉川学園中学部(同中学校)、玉川学園高等部(同高等学校・全日制普通科)および玉川大学の各学校を設置する。
沢柳政太郎が創立した成城学園から1929年(昭和4年)に枝分かれして、当時成城学園の幼稚園・小学校・高等女学校・高等学校の校長事務取扱だった小原國芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。キリスト教精神に基づいた宗教教育を行っている(ただし、キリスト教学校教育同盟などには加盟していない)。
1929年(昭和4年)の設立当初は(旧制)玉川中学校・玉川学園小学校(1941年初等部と改称)、幼稚園のみで、その後(旧制)玉川高等女学校(1930年開設)、玉川塾(専門部)(1939年開設)、(旧制)玉川工業専門学校(1945年開設)、(旧制)玉川大学(1947年開設)などを増設、戦後の学制改革で玉川学園小学部(1947年初等部から改称)、玉川学園中学部(1947年開設)、玉川学園高等部(1948年開設)、玉川大学(1949年開設)、玉川学園幼稚部(1950年再認可)、玉川学園女子短期大学(1965年開設・2005年廃止)、玉川学園久志高等学校(1948年開設・1979年廃止、全日制普通科・定時制普通科、鹿児島県西南方村〔現・南さつま市〕)、玉川学園富士高等学校(1964年開設・1973年休校・1995年廃止、通信制普通科、町田市の本校と静岡県内数ヶ所の分教室で構成)へと整備していった。日本国外の教育指導者を直接招いたり、玉川児童百科大辞典をはじめ数シリーズの児童用百科事典を編纂するなど、先進的な活動を第二次世界大戦前から行っていた。
学園長および理事長は、創立者の直系子孫による世襲継承が続いている。現学園長は3代目の小原芳明。

立地
幼稚園から小中高大と大学院まで同一キャンパスにある。幼小中高をまとめて「K-12」と称した独自の教育を実践している。 またこの広さゆえ、法人本部の位置する代表住所は町田市であるものの、実際には東京都町田市玉川学園(キャンパスの7割程度)、神奈川県川崎市麻生区岡上(農学部)、横浜市青葉区奈良町(工学部、中・高)、と3市に敷地がまたがっており、敷地内には二等三角点や古代の遺跡も存在し、戦時中には高射砲陣地もあったという。キャンパス内に小田急線のトンネルがある。
町田市では周辺の住宅地も含めて「玉川学園○丁目」という住居表示になっている(1967年から。それ以前は本町田など)。これは当初、玉川学園が地域一帯の山林農地であった土地を買い取り、玉川学園前駅を誘致(建設費用は玉川学園負担)することで住宅地として開発し、校地以外を住宅地として分譲しながらその資金を学校の運転資金として活用したためである。当時のお金で500坪を500円で販売し、教師には200坪200円の廉価で販売したという。現在でも教職員の住宅は、旧職員やその家族のものも含めて、玉川学園の住宅地に散在している。また、その教育理念に賛同して宅地を購入移転してきた人たちには、学者、芸術家などの文化人が多数あり、その中には遠藤周作、田河水泡など有名人も多い。

施設
東京ディズニーランド(51万m²)を超える59万m²の広大なキャンパスに、幼稚部 - 大学院まで約1万人が集う総合学園。
聖山、農場・牧場、玉川池、松下村塾(模築)、健康院、咸宜園(模築)、松陰橋、ゴルフ練習場、など100を超える施設がある。キャンパス内を鉄道線路が横断しており電車が通過し、それが気に入った薬師丸ひろ子が、この大学に入学したというのは有名な話。 1987年(昭和62年)までは塾という寄宿舎が存在し、男子塾と女子塾があった。塾生たちは、朝から晩まで生活を共にし自主運営していた。さらに教職員の自宅も学園内に点在していたという。 りんどう食堂(800席)をはじめ、学生食堂は全部で4カ所ある。設備はかなりあって数え切れないほどだが、体育関連の施設は小学校から大学までで共有しており、また敷地内に点字ブロックは全く設置されていない。 高学年校舎と、美術・造形の各分野の設備が整ったアートセンターが2006年(平成18年)に完成した。 校外施設には、箱根(神奈川県箱根町)約77万m²、北海道(北海道弟子屈町)約122万m²、鹿児島(鹿児島県南さつま市)約10万m²、カナダ(カナダバンクーバー島ナナイモ市)約34万m²がある。ナナイモキャンパスは主に、中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。 職員駐車場はグラウンド地下にあり、キャンパスの電線も地下埋設化されている。また敷地内は自然が豊かで、2002年(平成14年)12月25日、総合学園としては世界で初めてISO14001(環境マネジメントシステムに関する国際規格)の認証登録が認められた。

教育
小原國芳の全人教育論とキリスト教に基づいた教育。詳しくは小原國芳または玉川大学参照。K-12(ケースルートゥエルブ)の一貫教育を行っており、特に小学校1年生から高校3年生までの12年間を4年間(第1学年〔小1〕~第4学年〔小4〕・ファースト・低学年) - 4年間(第5学年〔小5〕~第8学年〔中2〕・ミドル・中学年) - 4年間(第9学年〔中3〕~第12学年〔高3〕・アッパー・高学年)の学年単位で教育を行っている。
創立当初より国際教育が盛んであり、世界中に提携校がある。年間を通して短期もしくは長期の留学予定生徒が多数。また提携校からの留学生も多数来校する。
音楽教育の中でも特に「合唱」を重視している。音楽は高校3年生まで必修教科である。特にユニークなのは生活音楽を大切にしており、朝のHR時や帰りのHR時にも多くのクラスで合唱を行っている。またHR教室の9割にアップライト型のピアノが装備されており、生徒は自由に弾いて良い環境にある。
1998年(平成10年)より、学内では「CHaT Net」と呼ばれるイントラネットが整備されている。子供(Children)と家庭(Homes)、教師(Teachers)の三者を結ぶネットワークである。子供・家庭・保護者が、ネットワーク上で情報交換や教育相談および学内外のイベント告知・報告を行っている。
2005年(平成17年)、日本の学校としては初めて「ラウンド・スクエア」の正式なメンバー校に認定される。
2005年(平成17年)、理科専門の校舎(サイテックセンター)完成。教育機関では初のデジタルプラネタリウム(コニカミノルタプラネタリウム社製)を導入する。
2006年(平成18年)9月、高等部(アッパー)新校舎完成。校舎中央広場壁面にはラファエロ「アテネの学校」の原寸大陶板あり。
2008年(平成20年)4月、文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定。同じキャンパスにある玉川大学がグローバルCOEに指定されており、その中核研究でもある脳科学に関して特に高大連携を強く行っている。玉川大学工学部、脳科学研究所、農学部などと立地条件を生かしたSSHプログラムを展開している。
2009年(平成21年)5月、国際バカロレア(IB)よりIBMYPスクールに認定され、現在7年生(中1) - 9年生(中3)まで国際学級が運営されている。静岡県の学校法人加藤学園に続いて、日本で2番目の国際学級を持つ一条校。
2010年(平成22年)4月、10年生(高1生)対象のプロアクティブラーニングコースを1クラス設置。これまでの通常のクラスよりも、SSH関連の企画やIBのカリキュラムを積極的に導入し、他難関大学進学も視野に入れた授業を展開。
2010年(平成22年)4月、国際バカロレア(IB)よりIBDPスクールに認定される。
2014年(平成26年)4月、文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定。
学内の玉川大学への推薦基準は高校の3年間で一定の成績以上を修めた生徒が対象となる。高校3年生の約30%が玉川大学に進学。看板学部である教育学部は内部生にも人気が高く、特に乳幼児発達学科入学を目指して、高校より入学する生徒も多い。

成田市立久住中学校

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概要
学区は成田市中央部に位置し、その西部に水田地帯、東部に畑作地帯が広がっています。兼業農家が多く、大部分は三世代家族です。学区が広いため、ほとんどの生徒が自転車通学者です。印旛地区の中学校では1~2番目に生徒数の少ない小規模校ですが、久住駅前の宅地開発に伴い、今後、生徒数の増加が見込まれます。また、23年度の学区小学校の統合によって一小一中学区となり、今まで以上に小中連携の強化に努めています。本校は、『小規模校の特性を生かし、全教育活動を通して個を生かすことに徹する』を重点目標に、下記の3点を柱に特色ある学校づくりを進めています。
1.個に応じた学習や補充的な学習、少人数学習、体験学習などのきめ細かな指導を通して、基礎・基本の徹底を図る。
2.総合的な学習の時間の充実で、主体的に活動する能力の育成を図る。
3.「職場訪問」、「職場体験」などを通して地域愛を育て、自らの生き方を考えられる生徒を育てる。

沿革
1947年(昭和22年) - 開校。
1974年(昭和49年) - 防音校舎が完成。
2002年(平成14年)4月1日 - 成田市土室827番地より、久住第一小学校の敷地内に移転。プレハブ仮校舎が完成。
2007年(平成19年)4月1日 - 現在地に新校舎が完成。

通学区域
成毛、大生、幡谷、飯岡、荒海、磯部、水掛、大室、芝、小泉、土室、新泉、久住中央



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川口市立仲町中学校

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概要

通称は仲中。全校生徒は約350名。年々生徒数は増えている。制服は学ランである。

周辺

校舎と運動場が緑川をへだてて分かれている。 (校舎・・川口市 運動場・・戸田市)

学校教育目標

光る汗・豊かな心・拓く夢

生徒目標

1・自ら創意をこらし、向上をめざす生徒。 2・労を惜しまず、責任を果たす生徒。 3・仲良く協力し、互いに磨きあう生徒。 4・心身ともに健康でたくましい生徒。

部活動

運動部
野球部
サッカー部
陸上部
テニス部(男・女)
卓球部(男・女)
バスケット部(男・女)
バレー部(女)

文化部
吹奏楽部
美術工芸部
パソコン部
科学部

委員会
1学年委員会
2学年委員会
3学年委員会
生活委員会
体育委員会
保健委員会
放送委員会
給食委員会
図書委員会
美化委員会
緑化委員会
掲示委員会



和光中学校

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東京都世田谷区・町田市で幼稚園(2園)・小学校(2校)・中学校・高等学校・大学・大学院を運営する私立の学校法人である。(和光学園)

真光寺キャンパス(町田市真光寺町1291(鶴川小学校とは道路を挟み隣接している)

教育の特徴
教科書は使わずに、体験を重視した独自のカリキュラムがある。
生活教育、総合学習をカリキュラムの柱としている。例えば小学校では、町探検、食の研究、平和学習などをテーマに、半年以上の長期間かけた学習・研究に取り組む。
宿泊学習、運動会、劇の会、文化祭、歌の会など、行事が多い。
技術工作、自治文化といった教科がある。

沿革
1929年 成城事件の元となる小原國芳による学校法人玉川学園創立
1933年 成城事件を機に成城学園を離れた教師、父母らによって和光学園創立
1934年 和光学園小学校(現、和光小学校)開校
1946年 和光学園高等女学校開校(中学校開校とともに閉鎖)
1947年 和光中学校開校
1950年 和光高等学校開校・東京教育大学の梅根悟教授らが主宰したコアカリキュラム連盟(現、日本生活教育連盟)の実験校となる
1956年 和光幼稚園開園(戦前も幼稚園を開園していた)
1966年 和光大学開学(初代学長梅根悟)
1968年 高校を大学キャンパスに移転(私服校となる)・丸木政臣が和光学園校長となる
1969年 鶴川団地内に和光鶴川幼稚園開園(和光はこの頃、幼稚園教員養成機関として短期大学の設立を目指していたが諸事情により断念)
1977年 中学校・高等学校を町田市真光寺町に移転
1990年 鶴川幼稚園を真光寺キャンパス内に移転
1991年 丸木政臣校長を辞任(このときまで多忙な日々を送っていたにもかかわらず直接教鞭をとる)。、校長は(幼稚園・小学校)(中学校・高等学校)に分かれておかれる、丸木は園長(枠は変わらないが実務は校長)に
1992年 和光鶴川小学校開校
2003年 和光大学大学院開学

関連人物
和光学園は総合学園としては小規模ながら、特に文化・芸能に関して多く著名人を輩出した。芸能人、文化人の子弟の在籍も多い。
卒業生
ミッキー・カーチス(歌手・俳優)
三枝成彰(作曲家)
三ツ木清隆(歌手・俳優)
小野進也(俳優、ワイルド7 / 飛葉大陸役)
岡田惠和(脚本家)
小沢健二(ミュージシャン)
小山田圭吾(ミュージシャン)
きだしゅんすけ(作曲家)
LITTLE CREATURES(ミュージシャン)
金剛地武志(ミュージシャン・俳優)
大鶴義丹(俳優)
柄本佑(俳優)
柄本時生(俳優)
木村光佑(コロラド・ラピッズ所属のプロサッカー選手)
佐々木愛(女優)
佐藤琢磨(レーシングドライバー)
魚住優(NHKアナウンサー)
板倉令奈(千葉ジェッツ)
早川義夫(元ジャックスリーダー、フォークシンガー)
高橋末広、水橋春夫(元ジャックスギタリスト)
高橋照幸(休みの国リーダー)
谷野ひとし(元ジャックス、休みの国ベーシスト)
木田高介(元ジャックス、元休みの国、高石ともやとザ・ナターシャーセブン、1980年没)
さねよしいさ子(歌手)
スケートシング(グラフィックデザイナー)
根岸吉太郎(映画監督)
田辺靖雄(歌手)
田邊伸明(日本サッカー協会認定の選手エージェントで、稲本潤一、中田浩二、松井大輔らの交渉代理人・歌手田辺靖雄の甥)
松岡きっこ(女優・俳優谷隼人の妻)
井上鑑(キーボード奏者、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー)
切通理作(文芸評論家・和光大学にも在籍し現在和光大学非常勤講師でもある)
丸田祥三(写真家・棋士丸田祐三の子息・切通理作とは同期で共著がある)
舟越桂(彫刻家・舟越保武の次男で、舟越家の子息6人すべて和光に在学した)
舟越直木(彫刻家・舟越保武の三男)
岩代太郎(作曲家・小中は和光)
今井通子(登山家・作家・医師)
古川享(初代日本マイクロソフト株式会社社長・慶應義塾大学教授)
堤未果(ジャーナリスト・エッセイスト・2001.9.11米国同時多発テロ事件に遭遇・参議院議員川田龍平の妻)
町田忍(写真家・昭和B級文化研究家)
島朗(将棋の棋士・九段、初代竜王、タイトル戦登場回数6回、A級通算9期)
宮川彬良(作曲家・舞台音楽家)
堤大介(ピクサー・アートディレクター・堤未果の弟)
eri(デザイナー)
東野翠れん(モデル・カメラマン)
酒井景都(カルチャーモデル・デザイナー)
長嶋智彦(お笑いコンビダーリンハニー)
吉川正洋 (お笑いコンビダーリンハニー)
小木曽綾(中央大学教授)
鈴木工務店(放送作家)
THE BAWDIES(ミュージシャン)
渡辺裕太(俳優)
OKAMOTO'S(ミュージシャン)
大原桃子(声優)
中島大輔(実業家)
入夏(モデル)
河野由佳(女優・タレント)
チャラン・ポ・ランタン(歌手)
幸田もも子(漫画家)
丸山英紀(LIPHLICH ドラマー)
尾藤桃子(歌手)
浜田光風(ミュージシャン)
菅井円加 ローザンヌ国際バレエコンクール優勝
大原櫻子(女優・歌手)
在籍したことのある人物
寺尾聰(俳優)
緒形直人(俳優)
ゆかりのある人物
池辺晋一郎(作曲家・鶴川小学校の校歌を作曲)
伊丹十三(映画監督・子弟を入学させていたことで有名)
喜多條忠(作詞家)・子供を入学させている
三木睦子(元内閣総理大臣三木武夫の妻・和光学園の理事をしていたことがある)
風吹ジュン(女優・子弟を入学させ、本人も父母会活動に積極的参加)
大和田伸也(俳優)
浜田雅功(芸人)・子弟を入学させている
薬丸裕英(タレント)・子供を入学させている
哀川翔(タレント)・子供を入学させている
YOU(タレント)・子供を入学させている
広末涼子(女優)・子供を入学させている
桜井和寿(ミュージシャン)・子供を入学させている
小山田圭吾(ミュージシャン)・子供を入学させている
渡辺徹:和光学園理事


川口市立南中学校

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教育目標
心を磨く …豊かな心をもつ生徒
身体を磨く…たくましい生徒
智性を磨く…自ら学ぶ生徒

部活動

運動部
野球部(男)
サッカー部(男)
バレーボール部(男・女)
バスケットボール部(男・女)
テニス部(男・女)
卓球部(男・女)
水泳部
陸上部(男・女)
ソフトボール部(女)
剣道部(男・女)

文化部
美術部
書道部
家庭科部
吹奏楽部
将棋部

沿革
1947年4月1日 新学制により川口市商工業地域を学区として、川口市立南中学校が創立され、初代校長に市川三代蔵が就任。
1949年3月 学区内生徒数増加のため、元郷中学校が新設され、700名の生徒が分離する。
1949年6月3日 校歌「光の少年」および、校章に「ひまわり」を制定、開校記念日とする。南中学校PTA結成、高木起作就任。
1952年3月5日 第5期生作制になる校旗を制定。
1966年9月13日 中学校完全給食実施。
1971年4月1日 住居表示の実施にともない川口市舟戸町2番3号となる。
1989年 体育館ステージ緞張プール防水工事。東校舎階段室掲示板設置。
1996年11月2日 創立50周年記念式典・祝賀会挙行。
1999年2月20日 新体育館棟完成(屋上プール、武道室、音楽室、部室)。
2001年9月1日 新校舎落成移転。
2001年10月20日 一園二校新校舎落成記念式典。
2001年12月2日 中学校関東中学校駅伝競走大会(中学校女子の部)5位。
2004年5月25日 南校舎に「川口市立南中学校」看板設置。
2005年3月25日 北側グランド(サンフラワーグランド)完成。
2005年5月10日 フィンランド ヘルシンキ市長 舟戸学園 来訪。
2005年8月9日 水泳関東大会出場。
2006年8月 陸上全国大会出場。
2007年3月 開校60周年記念誌発行。
2007年12月8日 全国体力作りコンテスト全国3位。
2008年11月27日 全国体力作りコンテスト全国1位。
2009年8月 新体操全国大会出場。
2010年8月 陸上全国大会出場。
2010年11月27日 全国体力作りコンテスト全国1位。


昭島市立昭和中学校

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沿革
1947年5月3日 - 東京都北多摩郡昭和町立昭和中学校として開校
1948年5月3日 - PTAが発足
1954年5月1日 - 昭島市立昭和中学校に改称
1998年5月10日 - 創立50周年
2007年11月23日 - 創立60周年

部活動
運動部
水泳部
バスケットボール部(男・女)
野球部
ソフトテニス部
硬式テニス部
サッカー部
剣道部
バドミントン部
卓球部

文化部
美術部
吹奏楽部
奉仕部
科学部
ESS部
学習部

出身者
真野亮二(サッカー選手)

教職員
モヒカーノ関(ラテン・ジャズピアニスト) - 元非常勤講師


城西大学附属城西中学校・高等学校

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概要

1918年に中島久万吉らが実業界の人材育成を目的とした実務学校として創立。その後、1924年に池袋児童の村小学校の創立者である野口援太郎が学園長に就任し、同小学校の中等部と位置づけて「城西学園」に改組、大正自由主義教育の実践校となる。 城西大学と冠しているが、本校の設置者は学校法人城西大学ではなく、同大学の系属校としての位置づけである。(城西大学は1965年、当時の大蔵大臣水田三喜男と校長の新藤富五郎によって設立されており、城西高等学校の方が創立は先である。城西大学への進学枠は確保されている。 城西放射線技術専門学校が同一敷地内に設置されている(但し夜間専門学校のため交流はほとんどない)。創立記念日は6月18日。総生徒数は中学・高校を合わせて1050名前後(2011年現在)。

教育目標
建学の精神「報恩感謝(恩に報い、感謝の念を忘れない)」の念を発揚して、独立自尊・恩愛に報い、心身ともに健康で社会の発展に奉仕する人材の育成をはかる。
大正自由主義教育の理念に基づき、人類愛に根ざした「天分の伸長」「個性の尊重」「自発活動の尊重」「人間の尊厳」「平等主義」を掲げている。

特色
学級をコース別、能力別、文理別にせず、学力や男女比などあらゆる要素を均等化した「自然学級編成」を全ての学年で行っている。高校1年次は中学からの内部進学者も高校からの入学者も同一クラスに編成されている。
学級編成による文系クラス、理系クラスの区分を行わない代わりに高校2年生から科目選択制を取り入れている。高校3年生はカリキュラムの約半数の授業が文理別、習熟度別の選択科目となっている。
文部科学省の指導要領改定に伴い2012年度入学者からカリキュラムやクラス編成が変更される予定。
CS(Culture and Sports)クラスが2012年度より高等学校に新設。野球、陸上で全国大会を目指す生徒や各種芸能活動を行う生徒を所属させ、活動を支援している。2013年度より中学校にGA(Global Arts)クラスが新設。副担任にネイティブの外国人教師を配置し、実技科目の一部を英語で実施する。自然学級編成は高校1年時までとなり、高校2年からは文理別にクラス編成がなされている。

沿革
1918年 - 城西実務学校設立(設立者・中島久万吉)
1925年 - 城西学園に改称 池袋児童の村小学校の創設者野口援太郎が学園長に就任
1927年 - 城西学園中学校に改称
1948年 - 城西高等学校に改称
1965年 - 城西大学設立(城西大学の副学長に当時の校長である新藤富五郎が就任する)
1973年 - 城西大学附属城西高等学校に改称
1991年 - 中学校再開
2004年 - 新校舎運用開始

主な部活動
硬式野球部 1974年、1979年夏に全国高等学校野球選手権大会に出場。1974年は3回戦、1979年はベスト8に進出している。
陸上部 2009年より現役を引退したシドニーオリンピック元日本代表選手、山村貴彦が保健体育教諭、顧問に就任。以降、国体や世界ユース大会での成果を挙げている。

進路
系列の城西大学、城西国際大学、日本医療科学大学へ進学を希望する生徒は全体の15パーセント程度であり、多くの生徒は系列以外の他大学、専門学校に進学を希望している。ただし医・歯・薬・看護など医療系学部を志望する生徒が多いため城西大学薬学部には例年10~20名内部進学している。

主な卒業生
ウルフ隼人(元キックボクサー)
高橋慶彦 (元プロ野球選手)
小泉泰重(元プロ野球選手)
山田潤(元プロ野球選手)
矢島正徳(元プロ野球選手、米独立リーグ)
水森かおり (歌手)
橋幸夫 (歌手) 
つのだ☆ひろ (歌手)
大泉滉 (俳優、中退)
木の実ナナ (歌手、中退)
野々村真 (タレント、明治大学付属中野高等学校定時制へ編入)
水町レイコ(女優)
吉田豪(プロインタビュアー)
有末麻祐子(モデル・タレント)
大谷清美(群馬テレビアナウンサー)
梶田昭(医学博士)
三武潤(陸上中距離選手)
寺沢功一(ミュージシャン)

交通
要町駅(東京メトロ有楽町線・副都心線)より徒歩6分
椎名町駅(西武池袋線)より徒歩7分

関連校
城西放射線技術専門学校
学校法人城西大学 城西大学
城西国際大学
城西短期大学
学校法人城西川越学園 城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校
学校法人城西医療学園 日本医療科学大学

秩父市立秩父第二中学校

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秩父市立秩父第二中学校(ちちぶしりつ ちちぶだいにちゅうがっこう)は、埼玉県秩父市にある公立中学校。愛称は「二中」。

全校生徒は440名(2007年4月1日現在)。秩父市立花の木小学校と秩父市立南小学校の卒業生のほとんどがこの中学校に進学する。

主な出身者・関係者
林家たい平(落語家)
藤原竜也(俳優)
彩海早矢(宝塚歌劇団星組)
3代目蜃気楼龍玉(落語家)


杉並区立中瀬中学校

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沿革
1948年4月1日 - 天沼第二中学校として開校
1948年4月5日 - 杉並区立若杉小学校内に開校
1949年6月30日 - 中瀬中学校に校名変更
1997年4月1日 - 中瀬学級(通級指導学級)を開設
2003年11月8日 - 小柴昌俊 名誉校長称号授与式挙行

部活動
華道(池坊)
茶道(裏千家)
(コーラス)
吹奏楽
ボランティア
陸上
バドミントン
バスケットボール
サッカー
野球
バレーボール
ハンドボール
剣道
テニス

特色

総合の授業の一部ではエンカウンターにおいて生徒が討論する場がある。これは全国的にも注目されている。2011年3月までの当校校長は國分康孝よりエンカウンターを教わっている[1]。

スペシャルオリンピックスとの交流があり、1年次に学習する。また、一年生徒と全校保護者に向けた名誉会長細川佳代子の講演会を実施したり、体育大会などではスペシャルオリンピックスのアスリートも出場種目がある。また活動場所を提供したり、スペシャルオリンピックス側の活動に代表生徒が参加することもある。

例年の音楽発表会は杉並公会堂で行われる。

生徒数・学級数

ここで記する物は通常学級についてのみ。
第1学年77名 1クラス25から26名 計3クラス 
第2学年96名 1クラス32名 計3クラス 
第3学年103名 1クラス34から35名 計3クラス

合計9クラス276名(2011年4月現在)

出身者
田代まさし(転入)
佐久間正英
干刈あがた
柄本明
米川英之
智田裕一(フジテレビ報道局取材センター経済部デスク、元アナウンサー)

交通
下井草駅から
徒歩10分または関東バス荻10系統荻窪駅・青梅街道営業所行きに乗車、中瀬中学校前で下車徒歩2分(来校者は北門)井荻駅から徒歩10分
荻窪駅から関東バス荻10系統下井草駅行きに乗車、中瀬中学校前で下車徒歩2分(来校者は北門)



女子美術大学付属高等学校・中学校

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概要

創立115年の歴史を持つ美術の名門女子美術大学付属校であり、国内唯一の美術大学付属校である。美術分野を始め各分野に多くの人材を輩出している。1900年に日本で初めて設立された女子美術教育機関として、彫刻家の藤田文蔵(元・東京美術学校教授)、横井玉子、田中晋、谷口鉄太郎らが発起人となり、私立女子美術学校が開校した。1915年に女子美術学校付属高等女学校が開校。旧佐藤高等学校を経て、現在は私立の女子中高一貫校。美術教育を中心とした教育課程を構成している。

創立以来、美術活動を通し感性を磨き、社会に貢献できる自立した女性を目指す教育方針が採られ、生徒の自主性を重視する教育方針が貫かれている。「知性が感性を支える」を理念に美術教育と学科の両面を重視した教育課程を構成。美術家、デザイナー、クリエーターとして活躍する卒業生を多く輩出している。2015年に女子美術大学付属高等学校・中学校創立100周年記念事業を挙行。

学校長は版画家の小川正明(女子美術大学短期大学部版画研究室名誉教授、学校法人女子美術大学理事(中等部門担当、2013年5月 - )、第十七代付属高等学校・中学校長(2013年4月 - ))。

沿革
1900年 - 私立女子美術学校設立。
1901年 - 本郷区弓町(現在の文京区本郷)に弓町校地が落成。初代校長に藤田文蔵が就任。
1908年 - 弓町校地が火災により焼失。
1909年 - 本郷菊坂町に菊坂校地が落成し弓町より移転。
1915年 - 菊坂校地に女子美術学校付属高等女学校を開校。初代校長に佐藤志津(私立女子美術学校長を兼任)が就任。
1916年 - 女子美術学校付属高等女学校を私立佐藤高等女学校へ改称(同年1月17日)。戸野みちゑが第二代学校長に就任。佐藤志津は名誉校長に就任。
1917年 - 鏡友会が発足(同年6月25日)。
1919年 - 第三代学校長に浜 幸次郎が就任。
1928年 - 菊坂校地の老朽化と狭隘化により新校地を豊多摩郡和田堀町和田に取得(同年6月)[6]。
1935年 - 杉並校地が落成し和田本町(現在の和田)へ移転。菊坂校地は私立佐藤高等女学校専用校地となる。「梅」「松」「桜」の3学級に「竹」を追加し4学級体制となる。
1940年 - 第四代学校長に土田忠二が就任。
1943年 - 私立向島高等女学校の廃校により佐藤高等女学校第三学年と第四学年にそれぞれ生徒50名を受け入れる。「菊」を追加し5学級体制となる。
1944年 - 第五代学校長に加藤成之が就任。
1945年 - 空襲により菊坂校地が全焼。私立佐藤高等女学校は杉並校地へ移転。
1947年 - 学制改革により新制佐藤中学校開設(同年4月)。「先生と父母の会」(現・PTA)が発足(同年10月1日)。当初の会員は430名。名誉会長に加藤成之が就任。
1948年 - 学生改革により新制佐藤高等学校開設(同年3月)。
1949年 - 第六代学校長に佐藤達次郎(大正10年から昭和19年まで私立女子美術学校長)が就任[12]。
1951年 - 佐藤高等学校・中学校を女子美術大学付属高等学校・中学校へ改称。
1954年 - 桑沢洋子デザインのフレアスカート・リボン型制服を採用(同年4月より)。
1957年 - 第七代学校長に加藤成之が再就任(女子美術大学長を兼任)。
1960年 - 長野県軽井沢町に「軽井沢寮」を開設。女子美術大学創立60年記念祭を挙行(同年10月29・30・31日)。
1962年 - 杉並校地6号館(旧・付属校舎、現・芸術学部校舎)が3月に落成し、同年5月26日に竣工式を挙行。
1963年 - 中学校各学年2クラス(計6クラス)353名と高等学校1・2年各5クラス(計10クラス)、高等学校3年3クラス710名を合わせ19クラス・1063名を収容。
1964年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校を16クラス体制とし、計22クラス・1200名を収容。「楓」を新設(3年間のみ)。
1967年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の終了に伴い21クラス・1150名へ減員。
1971年 - 第八代学校長に小串辰子が就任(同年1月)。
1976年 - 付属アトリエ校舎(現・9号館)が落成。
1980年 - 女子美術大学創立80周年記念式典挙行。女子美術大学八十年史を発行。
1986年 - 第九代学校長に古川成太郎が就任。
1989年 - 第十代学校長に美術史家の永井信一(女子美術大学名誉教授)が就任。
1990年 - 女子美術大学創立90周年記念式典挙行。
1991年 - 第十一代学校長に市川三千代が就任。
1994年 - 第十二代学校長に長谷川栄一郎が就任。
1996年 - 女子美術大学杉並校舎に展示施設「ガレリア ニケ」を開設。
2000年 - 女子美術大学創立100周年記念式典挙行。女子美術大学百年史を発行[18]。第十三代学校長に洋画家の入江観(女子美術大学名誉教授)が就任。
2001年 - 女子美術大学相模原校舎に女子美術大学美術館(女子美アートミュージアム)を開設。
2006年 - 第十四代学校長に小河秋好が就任。
2007年 - 杉並キャンパスの整備事業を開始。「ガレリアニケ」を休廊し学外ギャラリー「女子美ガレリア ニケ」を開廊。
2008年 - 第十五代学校長に洋画家の鴫剛(女子美術大学名誉教授)が就任。
2009年 - 「女子美ガレリア ニケ」を休廊し中央区銀座に「銀座gallery女子美(GGJ)」を開廊。第十六代学校長に洋画家の継岡リツ(女子美術大学大学院兼任講師)が就任。
2010年 - 旧3号館を解体し付属校舎が落成(同年1月)。旧1号館を解体し駐輪・駐車場を設置。旧和田寮を解体し体育館が落成(同年10月)。
2012年 - 旧体育館を解体し7号館が落成(同年3月)。「銀座gallery女子美(GGJ)」を閉廊(同年3月)。旧東京文化幼稚園・小学校舎を取得し1号館へ改称。1号館内に「女子美ガレリア ニケ」を開廊し女子美術大学歴史資料室を併設。 
2013年 - 旧4号館を解体しグラウンドを拡張。杉並キャンパスの整備事業を完了(同年3月)。第十七代学校長に版画家の小川正明(女子美術大学名誉教授)が就任。
2015年 - 女子美術大学付属高等学校・中学校創立100周年記念展覧会および記念式典の開催、記念作品集・略年史の刊行、記念壁画の制作を挙行。

教育課程

中学校では義務教育課程に加え、週4時間の美術教育が行われる。高等学校では普通科教育課程に加え、週6~10時間の美術教育が行われる。授業時間外の美術補講も行われる。

中学校では美術の基礎的な技術習得を中心に素描、着彩、彫塑、デザイン、版画、染色、工芸の他、素材の選び方、用具の扱い方、美術鑑賞マナーなど、美術の基礎知識の習得と、技術力、表現力の向上を目指す。

高等学校ではより高度な技術習得を目的に、素描(鉛筆・木炭)、着彩(水彩・油彩)、彫塑・彫刻、版画、染色、工芸、陶芸、グラフィックデザイン、コンピューターグラフィックス、空間構成、美術史などを学び、技術力、表現力の向上と共に創造性の向上を目指す。通常授業課題(宿題)と美術課題の多い教育課程を構成している。

普通科教育課程では中学校からの内部生と、高等学校からの外部生とを混合する併設型中高一貫校教育を採用。高等学校入学試験では「学科試験」と「実技試験」の両試験が設けられる。

校風
クラブ活動、学校行事が盛ん。研修旅行(5月)、運動会(6月)、ガレリアニケ美術展(9月)、球技大会(9月)、10月の創立記念日前に開催される「女子美祭」は校内最大の催し。その他、アート大会(1月)、高等学校卒業制作展(3月)、公募作品展、美術コンクール、パリ・イタリア研修旅行(希望制)など各種行事が行われる。公募美術・作品展、書道展への入選や受賞作品多数。
生徒会組織である「鏡友会」(大正6年発足)に各実行委員会を設け、運動会、女子美祭、部活動など、生徒運営による学内活動を行う。
6月に開催される運動会ではパフォーマンスアート、創作ダンス、ファッション造形など視覚・舞台芸術の要素を取り入れた応援合戦を披露する。ダンスの構成・選曲・振付・衣装制作は全て生徒による自主制作。
創立記念日前に開催される「女子美祭」は、全生徒作品の展示、全クラス展示の他、女子美祭実行委員会運営による管弦楽、声楽、演劇、洋舞、バトントワリング、ファッションショーなどで賑わい、杉並キャンパス全体で1万人の来場者を迎える付属校最大の催しである。
女子美祭ポスターは高等学校二学年に在籍する全生徒が夏季休業中(夏休み)に制作し、教員選考を経て、全校生徒による投票で決定する伝統行事である。原画はポスターの他、フライヤー、招待状にも使用される。女子美祭期間中は採用ポスターの実物展示の他、最終選考まで残った候補作品も同時展示される。
中学校三年生と高等学校三年生は京都と奈良へ修学旅行へ向う。この修学旅行は日本美術史、東洋美術史、日本建築史を学ぶ研修旅行と位置づけられることから、女子美生に限り、一般には公開されていない寺院の境内や収蔵品の特別拝観が認められる。春季休業中(春休み)にパリ・イル・ド・フランス美術研修、夏季休業中(夏休み)にイタリア美術研修が行われ、ヨーロッパ美術研究、西洋美術史、西洋建築史を学ぶ研修へ向う(海外研修は希望者のみ)。
高等学校三年生は「美術コース」と「デザインコース」に分かれ卒業制作を完成させる。卒業制作は「女子美術大学付属高等学校卒業制作展」に展示され一般公開される。
学校長と美術科専任教員による「美術科教員作品展」が開催され一般公開される。
クラス編成は中学校4クラス(松・竹・梅・桜、平成21年度入学生までは松・竹・梅の3クラス)、高等学校5クラス(松・竹・梅・桜・菊)。1964年(昭和39年)から3年間は「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校に1クラス追加し、「楓」を新設した。

校章

女子美術学校初代校長の藤田文蔵が八咫鏡をモチーフに中央に「美」の文字を配置した校章を考案した。鏡は自らの姿と行いを映すことから自省を促し「鑑」と記され手本を意味する。「女子美生は美の心を忘れず、身を鍛え、人の手本となる真摯な女性に成長して欲しい」との願いが込められている。校章に込められた「智の美」「芸(わざ)の美」「心の美」の三つの美の柱は女子美術大学の教育理念となっている。

校舎

2010年(平成22年)1月に完成した新校舎は、女子美の美術教育に特化した校舎として設計されており、絵画室(4室)、デザイン室(3室)、デッサン室、書道室、工房、パソコン・CG教室が設置されている。生徒作品を展示するギャラリースペースは校舎内各所に設置されており、女子美生の作品を日常的に鑑賞できるレイアウトを採用している。教室間の仕切りは制作活動に合わせ大規模教室として使用できる可動間仕切りを採用している。校舎入口にエントランスギャラリーを設置し、生徒作品の展示や美術制作展会場として使用できるように設計されている。生徒が使用する机と椅子は女子美生用に設計されたオリジナル製品を使用する。

校内に画材店「イワタ」が入店している。

校舎は閑静な住宅地に所在し、キャンパス内の樹木は杉並区の保護樹木に指定されている。

制服
夏服 ジレ
冬服 ブレザー
※ 桑沢洋子デザインによる制服を「ブレザー」「ブラウス」「ジレ」の3ピース組み合わせで着用する。1954年(昭和29年)4月に採用されたフレアスカート・リボン型制服を現在に至るまで使用している。襟元のリボンは工芸科OGによる手織り。
クラブ活動

文化部茶道部
絵本部
クロッキー部
漫画研究部
イラスト研究部
アニメーション部
写真部
文芸部
演劇部
管弦楽部
声楽部
美術部
華道部
書道部
家庭科部
英会話部
社会化研究部
ギター部
ファッションアート部

運動部バスケット部
バレーボール部
バドミントン部
卓球部
剣道部
テニス部
弓道部
ワンダーフォーゲル部
バトン部
洋舞部

同好会サッカー
折り紙
化学
ミステリー研究

著名な出身者
美術家継岡リツ(洋画家)
福士朋子(洋画家)
小松富士子(洋画家)
掘込幸枝(洋画家)
遠山香苗(洋画家)
広瀬晴美(洋画家)
松尾多恵(日本画家)
市川江津子(ガラスアーティスト)
津田裕子(彫刻家)
野原昌代(彫刻家)
原陽子(版画家)
イラストレーターみやしたはんな
べつやくれい
水谷さるころ
アートディレクター野田凪
吉田ユニ
映像作家丹野可奈子(読売テレビ社員アートディレクター)
岩城南海子(映画美術監督)
桑島十和子 (映画美術監督)
デザイナー原田松野
ひびのこづえ
島峰藍(2020年夏季オリンピック招致ロゴデザイナー)
永嶋瑛美(サンリオ所属(ぐでたまデザイナー))
インテリア大御堂美唆
文学芥川耿子(エッセイスト、児童文学者、詩人)
女優戸田春子
三田佳子
吉村実子
桃井かおり
岡まゆみ
賀来千香子
安田成美(中退)
川奈まり子
タレント川幡由佳

交通
東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅下車 1・2番出口より徒歩8分
東京メトロ丸ノ内線新中野駅下車 1・2番出口より徒歩8分



西武学園文理中学校・高等学校

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概要

文理佐藤学園が運営する私立の中高一貫校である。

附属校に西武学園文理小学校、系列校に西武文理大学や、3つの専門学校がある。

校訓

「Sincerity」「Reliability」「Service」

教育方針として「すべてに誠をつくし最後までやり抜く強い意志を養う」をポリシーとし、文武両道を掲げている。

校風

学校のシンボルマークは熊であり、校内のいたるところに熊(白熊)の像がある。

制服は、男女共にブレザーを着用する。ワイシャツはオックスフォードシャツを着用し、赤いネクタイを身につける。

小学校から高校まで英語教育を特に力を入れており、小学校から既に『英語』が科目の1つとして含まれている。

学校生活

学科・コース

クラスは例えば「1年E2組」「2年A6組」など所属する科を表すアルファベットと数字を組み合わせて付けられる。 クラス替えは基本的にコース内で行う。したがってコースによってはクラス替えのないクラスが存在する。
普通科 - いずれも2年時から文理別のコースとなる。また、3年生進級時には生徒の進学希望大学に沿うように、私立大学3科型と国公立大学5科型の2コースに分かれる。 文理進学コース(Aクラス) - 高校時から入学した普通科のクラス。
スポーツ選抜(SAクラス)はこのコースに属する。中高一貫コース(Bクラス) - 西武学園文理中学校からの内部進学者の入るクラス。
基本的に、高校3年間を通して文理進学コースと中高一貫コースが混合することはない。中高一貫コースには特別選抜クラスが内属している。
特別選抜クラス(B特クラス)- 西武学園文理中からの内部進学選抜者の入るクラス。ただし学習以外は上記のBクラスと同様の扱いをうける。普通科 (特別選抜) - 2年生進学時に文理別のコースとなる。国公立大学5科型のみ。 エリート選抜東大クラス(Tクラス)- 高校時から入学した選抜クラス。

文理系の割合によって2年次にTとB特が合併したことがある。理数科(Sクラス) - 理系進学クラス。国公立大学5科型のみ。
英語科(Eクラス) - 文系進学クラス。3年生進級時に私立大学3科型と国公立大学5科型にコースが分かれる。

国際教育

国際教育の一環として、中学校ではイタリアへの研修旅行を、高校ではオーストラリアへの短期語学研修とニュージーランドもしくはオーストラリアへの研修旅行を実施している[1]。

2006年に全国で発覚した高等学校必履修科目未履修問題において、2004年度から、2年生のオーストラリアへの修学旅行(6泊7日)を世界史Bの授業に換算していたことが発覚した。 同校は「現地では大学や史跡を訪れた。1日約8時間の集中講義と解釈した。」と釈明したが、埼玉県学事課は「修学旅行は特別活動の一環。単位とは認められない。」として、未履修と判断した[2]。

アクセス
西武新宿線 「新狭山駅」北口より徒歩3分のスクールバス乗場より、スクールバスで8分。西武柏原ニュータウン行き路線バス(新狭11,11-1,11-2)にて西武柏原ニュータウン下車
「狭山市駅」西口より西武柏原ニュータウン行き路線バス(狭山24)にて、終点下車。

西武池袋線 「稲荷山公園駅」よりスクールバスで20分。

西武池袋線・JR八高線「東飯能駅」東口よりスクールバスで25分。
JR川越線・東武東上線「川越駅」西口よりスクールバスで20分。
かすみ野行き路線バス(川越35)にて、かすみ野下車(かすみ野から本校までは若干の距離あり)。
東武東上線「鶴ヶ島駅」西口から(途中、的場バス停等を経由)スクールバスで20分。
JR川越線「笠幡駅」より新狭山駅北口行き路線バス(新狭11)にて、西武柏原ニュータウン下車。

附属校・系列校
附属校 西武学園文理小学校(埼玉県狭山市)

系列校 西武文理大学(埼玉県狭山市)
西武文理大学附属調理師専門学校(埼玉県ふじみ野市)
西武調理師専門学校(埼玉県所沢市)
西武学園医学技術専門学校(埼玉県所沢市)


出身著名人
ACIDMAN - ロックバンド
大利久美 - 競歩選手
森一馬 - 俳優
梅田陽子 - アナウンサー
田内志文 - 翻訳家
荒木哲郎 - アニメーション演出家




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