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杉並区立松渓中学校

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沿革
1948年4月 - 東京都杉並区立下荻第二中学校として設置する。
1949年6月 - 東京都杉並区立松渓中学校と改称、現在地に移転。
1974年7月 - 新校舎完成。
2008年 4月 - 校舎の老朽化にともない校舎改築に向け、仮設校舎建設工事始まる。
6月 - 創立60周年を迎える。
9月 - 仮設校舎利用開始。専科で利用する一部の教室がある部分をのぞき、旧校舎の撤去が開始される。

2009年12月 - 杉並区中学校対抗駅伝大会2009 - 女子1位、男子2位
2010年 8月 - 新校舎完成、利用開始。旧校舎、体育館の撤去と校庭整備工事が始まる。
11月 - 新校舎落成式。


教育目標

平成22年度より変更された
自学・自立
思いやり・感謝
鍛錬

特色
朝の読書活動
学期末の読書新聞作成
定期テスト前の放課後勉強会や英語の補習授業。
「まつぼっくり」と呼ばれる冊子の作成


部活動

校舎立て替えによって活動できない部活や人数の減少により廃部になる部活があったが、2010年度から徐々に回復しつつある。

運動部
女子バスケットボール部
男子バスケットボール部
女子バレーボール部
卓球部
剣道部
野球部(2010年度再開)
サッカー部(2010年度再開)
水泳部(2010年度創部)
女子ソフトテニス部(2012年度創部)

文化部
吹奏楽部(2008年創部) 2010年3月28日 - 第一回松溪中学校吹奏楽部定期演奏会
2014年7月30日 - 吹奏楽コンクール 金賞

茶道部
華道部
美術部
パソコン部
JRC(Junior Red Cross)部
国際交流部(2009年度をもって廃部)
合唱部(2009年度をもって廃部)

同好会[編集]
将棋同好会(2009年度新設)

著名な卒業生
せんだみつお(タレント、司会者)
雨宮塔子(元TBSアナウンサー)
角川歴彦(角川書店第3代社長)
磯田順子(元競泳選手)
永戸鉄也(アートディレクター)

近隣の施設
杉並区立西田小学校
杉並区立杉並第二小学校
杉並区立桃井第二小学校
杉並区立高井戸小学校
東京都立荻窪高等学校
東京都立杉並高等学校
善福寺川緑地
環状八号線



八王子市立元八王子中学校

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沿革
1947年(昭和22年)3月31日 - 多摩郡元八王子村立元八王子中学校として開校。
1952年(昭和27年)10月17日 - 新校舎に移転。
1955年(昭和30年)4月1日 - 市町村合併により、八王子市立元八王子中学校に改称。

★★学校の伝統を地域とともに★★

本校は昭和22年5月に、戦争で空襲を受けて村の半分近くが焼けてしまった元八王子村に新制中学校、元八王子村立元八王子中学校として開校しました。 この元八王子の地が八王子という地名の発祥の地でしたが、江戸時代に現在の八王子の市街地に横山15宿が建造され、発展していくにつれてこの地が元八王子と呼ばれるようになりました。そして、明治22年の町村制施行によって大楽寺村、上壱分方村、下壱分方村、横川村、弐分方村、川村、元八王子村の七つの村が合併してできたのが昭和まで続いた元八王子村です。

本校は隣保会館、元八王子小学校、横川公会堂に分散しての開校でしたが、翌年から元八王子小学校でまとまって勉強できるようになり、昭和27年に現在の地に新築校舎が落成しました。その後、昭和30年の町村合併により元八王子村が八王子市に吸収合併されて八王子市立元八王子中学校となりました。

昭和50年代には生徒数の急増により、四谷中学校・横川中学校・城山中学校の3中学校が本校を母体として開校しました。また、昭和64年には元八王子地区での特別支援教育を担って特別支援学級、8組が開級しました。「教育は知識を持った人間ばかり作る処でなく民主的で、正しく生きて行く人間即ち民主的なよき社会人を作ることが大きな目的であることは、皆様も充分御承知の通りであります。」本校の第2代松尾圭介校長の言葉です。

教育は、将来の社会で活躍する子どもたちを育成することです。多様化する社会で、身の回りに起こる様々な問題に的確に対応できる「力」を持った生徒を育成していくことが、いま公教育に要求されています。  成長した子どもたちは、様々な形でその身に付けた「力」を社会にフィードバックします。すなわち教育は、将来の社会を創る仕事です。私は、元八王子中学校の教職員とともに学校運営協議会と連携し、地域・保護者の皆様と地域で生きる子どもたちの教育の推進に全力で努めてまいります。

秩父市立影森中学校

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沿革
昭和22年4月1日学制改革により影森村立中学校を設立
昭和22年4月22日影森小学校校舎の一部を使用し、影森中学校開設(5学級)
昭和22年10月1日影森中学校PTA創立
昭和27年5月10日埼玉県教育委員会より教育評価実験学校の指定を受ける
昭和29年10月17日新校舎竣工し、落成式挙行(A,B,C棟)
昭和30年2月15日文部省建築モデルスクール候補校の指定を受ける
昭和30年3月25日影森中学校校旗制定
昭和30年6月10日埼玉県教育委員会・県学校保健協会より、よい歯の学校として表彰を受ける
昭和30年11月9日学校保健優秀校(埼玉県一位)として県教委・県学校保健会より表彰を受ける(31.11.27)
昭和30年11月23日校歌制定  作詞 百田宗治  作曲 箕作秋吉
昭和31年9月30日町制施行により校名を影森町立影森中学校と改称する
昭和32年9月27日埼玉県教育委員会より委嘱された学校保健研究発表会を開催する
昭和33年5月31日秩父市への合併により、校名を秩父市立影森中学校と改称する
昭和33年11月10日体育館落成(33.12.26内部施設完成)
昭和34年3月18日文部省よりモデルスクールとして推薦される
昭和34年10月19日女子生徒に制服制定
昭和35年4月1日秩父市久那中学校を統合
昭和35年11月24日文部省指定産業教育研究発表会開催(県)
昭和37年3月10日西側校地拡張3,801.2㎡
昭和38年10月17日埼玉県教育委員会指定、理科教育研究会開催
昭和39年3月4日学校緑化コンクール埼玉県第一位の表彰を受ける
昭和40年5月20日プール設置のため校地拡張 1,166.9㎡
昭和40年8月17日プール完成 25m 7コース
昭和43年4月1日学区変更により浦山森川地区を影森中学校区と定めたことにより、同地区より29名転入学する
昭和44年11月28日教科教室制、教育機器研究発表(市教委、郡市学視連、県シート学習研究会委嘱)
昭和45年6月25日体育研究発表会開催(県教委、県学体協、県保体研究会委嘱)
昭和47年2月日本職業指導協会指定 進路指導における観察指導の実験研究発表
昭和47年3月26日昭和47年度学校環境緑化コンクールを優良校として表彰を受ける
昭和51年4月1日同和教育実験学校として研究委嘱を受ける(市教委)
昭和56年4月1日秩父市教育委員会実験学校委嘱「体力増強をはかるための方策についての研究」を行う
昭和57年6月29日プール防水工事及び附属施設・周辺整備工事完了
昭和60年4月1日秩父市立浦山中学校を統合
昭和60年9月7日新校舎建築着工(西武建設)
昭和61年3月20日新校舎完成する
昭和61年6月6日新校舎竣功式典 同日をもって開校記念日
昭和62年3月10日校舎周辺整備(正門、自転車置場、フェンス、倉庫、体育器具庫、防球フェンス)
昭和62年6月27日県教委より「生徒指導-埼玉の中学校を視察して」の研究指定を受ける
昭和63年11月19日同上研究発表を行う
平成元年3月31日プール改修工事完了
平成元年4月1日特殊学級1学級開設する
平成元年10月17日正門扉完成
平成2年5月22日校歌碑据付
平成3年10月21日パソコン教室完成(パソコン21台備わる)
平成3年「旅立ちの日に」誕生
平成4年3月31日給食配膳室完成
平成4年4月9日完全給食始まる
平成4年6月6日体育館改築工事着工
平成5年3月31日新体育館完成
平成6年3月31日新体育館周辺整備工事完了
平成6年8月11日校庭砂場改修工事完了
平成6年12月7日プール階段改修工事完了
平成7年3月25日浄化槽屋外排水汚水管改修工事完了
平成8年3月29日プール更衣室設置工事完了
平成8年4月17日県教委・市教委より「学習指導の改善」の研究指定を受ける
平成11年3月9日さわやか相談室完成
平成12年3月16日女子生徒夏服半袖制定
平成12年12月22日女子生徒体育着(短パン)制定
平成13年2月6日市教委指定「総合的な学習の時間」発表を行う
平成16年4月1日特殊学級を廃止する
平成16年4月1日文科省・県教委委嘱「生徒指導総合連携推進事業」(16・17年度)
平成18年2月8日卒業式の歌「旅立ちの日に」歌碑完成
平成19年1月30日新校旗制定
平成19年4月12日シバザクラ・カエデの植樹
平成19年6月20日プール吸水管等補修工事完了
平成19年7月14日県学校総合体育大会新体操優勝
平成19年8月6日新体操関東大会8位
平成19年11月9日県新人大会新体操優勝
平成19年11月27日県進路指導研究会委嘱を受け、25地区進路指導・研究発表会を開催する
平成19年12月5日県音楽中央大会「3年選択音楽三味線」出場
平成20年6月6日交通安全教室実施
平成20年6月24日プール防水全面工事完了
平成20年7月12日県学校総合体育大会新体操 準優勝
平成21年7月10日「一人一人を伸ばす柔道学習の研究」委嘱
平成21年8月24日事務室新設
平成22年8月相撲新人兼県民体育大会団体準優勝


町田市立南中学校

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沿革
1947年 南多摩郡南村立南中学校設置設置。
1954年 町村合併で南多摩郡町田町立南中学校に改称。
1957年 校歌、校章制定。
1958年 市町村合併で町田市立南中学校に改称。
1975年 町田市立つくし野中学校設置に伴い一部生徒が転出。
1981年 町田市立南成瀬中学校設置に伴い一部生徒が転出。
1987年 野外炊飯場を設置。
1999年 太陽光を利用した温水プールが完成。
2005年 無線LAN設置。
2013年 ノートパソコン設置。

所在地
町田市金森1200
最寄駅 成瀬駅から徒歩20分。町田街道を越えた先にある。

その他
校内にはシンボルとなっている欅の木がある。またスイートピーを校花にしている。
温水プールは、市民向けに開放されている。
2007年(平成19年)11月2日に60周年記念式典、翌3日に20年前(40周年記念の際)に埋めたタイムカプセルを開ける会が行われた。



杉並区立神明中学校

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概要

1947年に設立。翌年、杉並区立神明中学校に改称して現在地に移る。

神社と駐在所とに隣接していて、自然環境に恵まれている。

また、校訓に「自主自立」を掲げており、生徒中心に行事などが行われている。

沿革
1947年(昭和22年) - 杉並区立下荻中学校として設置。桃井第二小学校内に開設される。生徒数268名。職員6名。
1948年(昭和23年) - 杉並区立神明中学校と校名改称。現在の校地に移る。
1950年(昭和25年) - 第1回卒業式。卒業生291名。
1952年(昭和27年) - 校歌および校旗制定。
1956年(昭和31年) - 現在の校地の面積が決定する。
1958年(昭和33年) - 創立10周年記念式典。
1959年(昭和34年) - 体育館完成。
1962年(昭和37年) - 学級数30となる。
1965年(昭和40年) - プール完成。
1966年(昭和41年) - 普通教室の鉄筋校舎への改築が完了する。
1969年(昭和44年) - 給食施設完成。給食開始。
1978年(昭和53年) - 校庭側の鉄筋校舎完成
1990年(平成2年) - コンピュータ教室、教育相談室設置。
1997年(平成9年) - 創立50周年式典が挙行される。区研究奨励校として「生徒の主体的な学習を促す指導法」 について研究発表。
1999年(平成11年) - 杉並区インターネット推進パイロット校に指定される。
2005年~2006年(平成17年~18年) - 区研究奨励校として「自ら学び心豊かに関わり合う生徒の育成」 について研究発表
2007年(平成19年) - 創立60周年式典が挙行される。
2009年(平成21年) - 校舎耐震工事
2010年(平成22年) - 校舎外壁・トイレ全面工事
2011年(平成23年) - ボヤ騒ぎが起こる。

学区域
南荻窪
西荻南
宮前
松庵

部活
サッカー部
野球部
バスケットボール部
バドミントン部
卓球部
テニス部
吹奏楽部
美術部
イラスト漫画部
アウトドア部
演劇部
電子工作部
ボランティア部
理科部
英語部

行事
4月 入学式
6月 体育大会
9月 神明祭
10月 文化発表会
3月 卒業式

学校付近のようす
神明天祖神社 隣接している神社。
西荻窪駅 JR中央線の最寄り駅。
荻窪駅 西荻窪駅と同じくらいの距離にあるJR中央線の駅。
神明通り 近くを通る道。
杉並区立桃井第二小学校 学区内で最も多くの生徒が神明中学校に進学する小学校。




白岡市立篠津中学校

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沿革
1947年4月1日 - 白岡乾繭所を仮校舎として設置
1947年5月12日 - 埼玉県南埼玉郡篠津村立篠津中学校として開校
1968年4月1日 - 大山中学校の廃止に伴い、統合する。
2012年10月1日 - 市制施行に伴い、校名変更。白岡市立篠津中学校となる。

所在地
埼玉県白岡市篠津2617

著名な出身者
神田千絵(元女子バレーボール選手)
奈良原浩(元プロ野球選手、野球指導者)


八王子市立楢原中学校

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沿革
昭和51年4月1日 - 開校

所在地
東京都八王子市楢原町1235番地

昭和51年 に開設された本校には、「大地の力 湧き水の・・・」と始まる校歌の歌詞にある風景が今も大切に残され、校庭の湧き水の水路では鯉たちが泳ぎ亀が甲羅干しをしています。周囲も自然豊かな環境、そして、生徒会や園芸部、花植えボランティアの生徒たちやPTAや地域の方々が色取り取りの花壇づくりに励むなど、地域からのご協力もいただき、共に歩んでいます。
 また、「深く考え自ら学ぶ生徒・思いやりのある心豊かな生徒・健康でねばり強い生徒」の教育目標のもと、1.生徒が意欲と希望をもち、生き生きと活動する学校 2.確かな基礎学力が身につく学校 3.多様な体験と心身の鍛錬を重視し、豊かな心と健康なからだを育む学校 4.誰もが安心して楽しく過ごせる学校 5.保護者・地域の願いや期待に応える学校 6.教師が協働意識をもち、互いに磨きあう学校、を目指し、教育活動を進めています。
 生徒が明るく伸び伸びと過ごしている様子や、教職員が熱心に授業を展開している姿をご覧いただければ幸いです。毎日学校公開しております。

平成22年度新入生より、制服が変わりました。



杉並学院中学高等学校

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沿革
1923年4月22日 - 「奥田裁縫女学校」(女子校)が創立。初代校長は奥田艶子。
1926年4月20日 - 豊多摩郡杉並町馬橋(現在地)の新校舎に移転する。
1940年11月11日 - 前田蓬、奥田裁縫女学校を継承して「前田高等家政女学校」を設立。
1946年4月1日 - 「前田高等女学校」と改称。
1947年4月1日 - 新学制により、「菊華中学校」、「菊華高等学校」となる。
1951年3月1日 - 私学法制定により「学校法人菊華学園」という組織になる。
1955年 - 中学校を休校する(1995年まで)。
2000年4月1日 - 「杉並学院中学高等学校」と改称、男女共学となる。

校舎
校舎は学校の共学化を機に大きく改装された。色がオレンジ、黄、青の3色に塗り分けられているが、これはすぐ側を走る中央線と総武線、東西線の車輛の色に由来しているという説がある。

いち早く情報教育に力を入れていた為、校舎内全域に無線LANを張り巡らしている他、校内の主要施設にWebカメラを設置している。 また、情報教育の一環として、パソコン室の他にパソコンラウンジを設置する等、生徒がパソコンに触れやすい環境を備えている。

屋上にはゴルフ練習場がある。

制服
男女ともに上着は黒色のブレザーで、シャツは白色と黄色と水色から、ネクタイはボタンで留める形式で、水色と赤色から自由に選べる。また、男子はグレーの千鳥格子のスラックス、女子はチェック地のスカートにチャコールグレーのハイソックス。中高ともに同じ制服で、エンブレムの色で識別する。

男女共学になってからの数年間、夏用の式服としてチノパン、チノスカートが着用されていたが、生徒には不評であったので廃止された。

部活動
合唱部前身の菊華高等学校時代より全日本合唱コンクールで何度か上位入賞を果たしている。伝統の女声合唱が主体だが、男子部員の増加により、2007年から混声合唱、男声合唱でもコンクールに出場するようになった。現在、NHK全国学校音楽コンクールでは混声合唱、全日本合唱コンクールでは女声合唱と男声合唱で出場している。以下は校名改称後の結果を記載する。NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール 第71回(2004年) - 優良賞(全国初出場)
第73回(2006年) - 優良賞
第74回(2007年) - 金賞(以降混声)
第75回(2008年) - 銅賞
第76回(2009年) - 金賞
第77回(2010年) - 銀賞

全日本合唱コンクール全国大会 第54回(2001年) - 金賞・愛知県知事賞
第56回(2003年) - 銅賞
第57回(2004年) - 銀賞
第58回(2005年) - 銀賞
第60回(2007年) - 銅賞(女声)
第61回(2008年) - 銀賞(男声)
第62回(2009年) - 金賞・石川県知事賞(女声)
第64回(2011年) - 金賞(男声)

ゴルフ部プロゴルファーの石川遼選手が所属、一躍有名になった。

ゆかりの有名人
浅丘ルリ子 - 元日活看板女優。菊華学園時代の生徒。
松原智恵子 - 元日活看板女優。菊華学園時代の生徒。
天海祐希 - 女優(元宝塚歌劇団月組トップスター)。菊華学園時代の生徒。
内海和子-元おニャン子クラブ。菊華学園時代の生徒。
蜂須賀年子 - 菊華学園時代に校長を歴任。
山東昭子 - 2000年4月理事長就任。
石川遼 - プロゴルファー。2010年3月卒業。
薗田峻輔 - プロゴルファー。2008年3月卒業。
鷹巣南雄 - プロゴルファー。ゴルフ部監督。
中島健人 - アイドル、俳優、Sexy Zone。2012年3月卒業。

設置学科
中学校 …1学年、1クラス(15~20人程度)。
高等学校 全日制課程 普通科 …文理コースと特進コースがある。1学年、文理・特進あわせて10,11クラス。文系理系へは2年次に分かれ、その際に文理・特進クラスの入れ替えも行われる。特進クラスは国公立系志望と私大志望の2コースに分かれるが、現時点では国公立系志望クラスの生徒のほとんどは私大進学である。


交通
JR高円寺駅、阿佐ヶ谷駅より徒歩約10分
東京メトロ丸ノ内線、南阿佐ヶ谷駅より徒歩20分





ふじみ野市立福岡中学校

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概要

2006年で創立60周年を迎える。旧上福岡市内で初めての中学校で一時は1,000人余りの生徒がいたが、近年減少する傾向にある。

校舎の特徴として、第二次世界大戦時の火工廠後の名残で、周囲に比べ数m土地が下がっていることなどがあげられる(爆発物の処理などに使われていた)。

学校教育目標

自ら生きる力をつちかう生徒
知力…自ら学び自ら考える生徒(自学)
体力…たくましさのある生徒(強健)
社会性…思いやりのある生徒(友愛)

校訓
ともに学ばん
ともに励まん
ともに磨かん

この3つは校歌にも含まれている。

行事
4月 - 入学式・始業式 生徒会入会式 全校遠足
5月 - 体育祭
6月 - 生徒総会
7月 - 音楽鑑賞教室 終業式
9月 - 始業式 
10月 -合唱祭  ふれあい講演会
11月 - 開校記念日
12月 - 終業式
1月 - 始業式 修学旅行(二学年)
3月 - 3年生の卒業を祝う会(略称「三祝会」) 卒業式 修了式

歴史
1947年(昭和22年)4月1日 - 埼玉県入間郡福岡村福岡中学校開校
1957年(昭和32年)4月1日 - 制服制定 
1957年(昭和32年)8月25日 - 校歌を制定
1957年(昭和32年)11月3日 - 埼玉県入間郡福岡町立福岡中学校になる
1972年(昭和47年)4月10日 - 上福岡市立第一中学校になる
1993年(平成5年)2月23日 - 開校記念日制定
2002年(平成14年)4月1日 - 上福岡市立福岡中学校になる
2005年(平成17年)10月1日 - ふじみ野市立福岡中学校になる

生徒会
1.生徒総会
2.代議員会
3.本部会
4.専門委員会
5.学級会
・学級委員
・体育委員
・保健委員
・美化委員
・給食委員
・図書委員
・広報委員
・緑化委員
・福祉委員

6.特別委員会
・選挙管理委員会
・合唱祭実行委員会
・3祝会実行委員会

7.部活動代表者会

部活動
野球部
サッカー部
ソフトテニス部 - 女子は全国大会に出場したこともある。
陸上部
ソフトボール部
バスケットボール部
男子バレーボール部
卓球部
剣道部 県大会にほぼ毎年出場している
バドミントン部
吹奏楽部
20年度 - 吹奏楽コンクール西部地区大会B部門銀賞。アンサンブルコンテスト西部地区大会金 賞、同県大会銀賞。(サキソフォーン四重奏)
21年度 - 吹奏楽コンクール西部地区大会B部門金賞。アンサンブルコンテスト西部地区大会金賞、同県大会銀賞。(クラリネット四重奏とサキソフォーン四重奏の二組受賞)東京ディズニーランドミュージックフェスティバル演奏
22年度 - 吹奏楽コンクール西部地区大会B部門銅賞。東京ディズニーシーミュージックフェスティバル出演

美術工芸部
パソコン部
レクリエーション部 - 障害を持つ生徒のクラス、「あおぞら学級」の部活動。

特殊部活
柔道部
水泳部
新体操部
硬式テニス部

著名な卒業生
小金井幸子(日本の元女子プロレスラー)
新田恵利(タレント)
川村陽介(俳優)





横浜市立中田中学校

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沿革
1973年(昭和48年)6月4日 - 開校
1975年(昭和50年)9月10日 -県最も良い歯の学校として県教育委員会より表彰される
1975年(昭和50年)12月2日 - 横浜市優良PTAとして横浜市PTA連絡協議会より表彰され、市の教育委員会より感謝状を受け取る
1976年(昭和51年)9月10日 - 県歯科保健優良校として県の教育委員会より表彰される
1977年(昭和52年)4月1日 - 52、53年度社会福祉研究普及校として県知事から指名を受ける
1980年(昭和55年)10月9日 - 研究歯科保健準優良校として県の教育委員会より表彰される
1982年(昭和57年)10月15日 - 全日本良い歯の学校として昭和49年より継続して表彰される

所在地
神奈川県横浜市泉区中田北二丁目20の1

交通
横浜市営地下鉄立場駅より徒歩約5分
神奈川中央交通中西バス停より徒歩約1分

著名な出身者
臼井幸平(サッカー選手)
高橋智(元プロ野球選手) - 元ヤクルトスワローズ

地域の歴史
小田原に北条氏がいた頃は、上飯田を平山源太郎、下飯田を川上藤兵衛、和泉を笠原藤左衛門、岡津を太田大膳亮といった武士が納めていた。それが江戸時代に入ると、上飯田は佐野、下飯田は筧、和泉は松平、岡津は黒田、阿久和(新橋)安藤、中田は石巻といった旗本領地となる。石巻の祖は小田原北条氏に仕えた有力な武士五太夫康敬であり、江戸時代初期に岡津にいた彦坂小刑部元正は代官頭の一人であった。現在の泉区は江戸時代まで相模国鎌倉郡(一部は高座郡)と呼ばれ、明治時代になると神奈川県鎌倉郡に改まった。



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八王子市立七国中学校

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沿革
平成15年4月1日 - 開校

所在地
東京都八王子市七国六丁目41番1号

本校は、町田市との境をなす多摩丘陵に開発されたみなみ野シティの中に位置し、学校の南西には校名の由来となった鎌倉古道の七国峠があり、自然と調和した街は現在も開発が進んでいます。平成15年4月、1年生36名1学級で開校した本校は今年度で12年目を迎え、第12期生136名が入学し、全校生徒411名、14学級(特別支援学級2学級を含む)でスタートしました。

本校の教育目標は、『教養と品格をもち、社会に貢献する人間の育成』です。この教育目標の実現に向けて教育活動を推進しています。社会に貢献する人間の育成は、学校が社会に対して果たすべき重要な役割であると考えます。人と人が社会生活を営む中で、一人一人が主体的に社会と関わり、社会の構成員としての責任を果たすには、社会貢献の姿勢が不可欠です。また、教養と品格は、一人一人が生涯に亘って自己を高めていく営みの基盤となるものです。生徒に教養と品格、社会貢献の姿勢や実践力を身に付けさせ、社会の進展や発展に寄与する人材を育てたいと考えます。

そのためには、生徒一人一人に応じた確かな学力を身に付けさせることはもとより、知・徳・体のバランスのとれた成長を図ることが大切であり、教職員一同、学習指導、生活指導・進路指導、学校行事、部活動、委員会活動などあらゆる教育活動の場で、それぞれの教育活動のレベルアップを図り、目標の実現に努めてまいります。






白岡市立菁莪中学校

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所在地
埼玉県白岡市下野田927番地 JR白岡駅より徒歩約30分


生徒・学級数

2011年8月1日現在
1年 - 67名(2クラス)
2年 - 67名(2クラス)
3年 - 72名(2クラス)

合計: 206名(6クラス)

教育目標

「豊かでたくましい生徒」
自ら学ぶ生徒
思いやりのある生徒
進んで働く生徒

沿革
1947年 - 埼玉県南埼玉郡日勝村立日勝中学校が設立され菁莪小学校校舎に設置
1948年 - 新校舎(平屋建5教室)落成
1954年 - 白岡町誕生により校名を埼玉県南埼玉郡白岡町立菁莪中学校に変更
1969年 - 体育館及び更衣室・用具室・控え室等落成
1971年 - 鉄筋三階建校舎落成現第一校舎
1974年 - 鉄筋三階建校舎落成現第二校舎
1982年 - 菁莪中学校分離し白岡町立南中学校開校
1990年 - コンピューター20台設置
1996年 - 開校50周年記念式典で「菁莪中学校の歌」を「菁莪中学校校歌」として制定
1997年 - 第37回交通安全国民運動中央大会優良学校賞受賞。・さわやか相談室設置
2002年 - 毎日カップ中学校体力づくりコンテスト優秀賞受賞
2003年 - テニスコート改修工事完了
2005年 - 平成16・17年度 白岡町教育委員会指定研究発表
2007年 - PCRコンピュータ40台の総入れ替え
2012年 - 白岡市誕生により校名を埼玉県白岡市立菁莪中学校に変更

校風
白岡市にある公立中学校4校のうち最も人数の少ない中学校。
学区が大変広く通学時間が徒歩45分かかる生徒もいる。しかし、自転車通学は認めていない(一部を除く)。学区内の小学校が白岡市立菁莪小学校だけであり、菁莪小学校を卒業した生徒のほとんど(私立中学校を受験しなかった生徒以外)が本校に進学する。そのため生徒同士の交友関係は深い。近隣には私立の菁莪幼稚園があり、こちらの幼稚園を卒園し菁莪小学校へ進学、そして菁莪中学校へ進学する生徒も半数を占める。
素直で前向きな生徒が多く、落ち着いた学校生活を過ごし、学習に部活動に一生懸命に取り組んでいる。
毎年一度焼き芋大会を実施する。その際には幼稚園生も参加する。
また菁莪小学校とは川を隔てた距離にある。理由としては、中学校創立当初は既に現存していた菁莪小学校の敷地に建てられていたため。近くにある菁莪小学校自体は創立110年を超える伝統校である。

部活動
サッカー部・ソフトテニス部(男・女)・剣道部(男・女)・卓球部(女子)・バレーボール部(女子)・(ソフトボール部)・吹奏楽部・美術部・創作部・バスケ部(男子)
過去5年間では女子剣道部が関東大会優勝、ソフトボール部が白岡町のクラブチームとして参加し全国大会準優勝、吹奏楽部が中学校では珍しいJazzに取り組み、2010年1月23日(土)、1月24日(日)に青年館で行われたStudent Jazz Festival 2010にて、38校の中からJAJE東日本会長賞を取り、2010年5月開催浜松JAZZ WEEKにJAJE東日本代表として出場が推薦され、2009年8月7日開催第50回埼玉県吹奏楽コンクール中学校部門地区大会で銀賞をとる(この時にはJazzに取り組んでいたが演奏した曲は普通の吹奏楽)など経歴はよい部活動が多数ある。



町田市立堺中学校

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概要
校章は「野菊」を図案化したものであり、中心の「堺中」は、旧校章を残した卒業生とのつながりを表したものである。また二枚の葉は小山と相原を意味し、中の花びらは四囲への発展と内の団結を表したものである。
障がい学級:知的
校歌
制定:1950年(昭和25年)
作詞・作曲:制定当時の学校職員

沿革
1947年4月1日 - 南多摩郡堺村立堺中学校設立
1953年1月11日 - 小山分校が開校
1958年2月1日 - 町田市制施行により東京都町田市立堺中学校と校名を変更
1959年7月31日 - 校章及び校旗制定
1961年9月30日 - 小山分校を廃校し、以後は小山分教場と呼称
1969年12月19日 - 体育館完成

委員会
学級委員会
生活委員会
美化委員会
報道委員会
図書委員会
保健委員会
体育委員会

部活動
野球部
剣道部
男・女バスケットボール部
1996年 - 女子部が全国中学校バスケットボール大会にて優勝。
陸上競技部
サッカー部
バレー部
ソフトテニス部
吹奏楽
合唱部
日本文化部
演劇部
美術部
パソコン部
将棋部
自然科学部

教育目標
知性を磨き(知育)   自ら進んでい学び、基礎基本を身につけ、よく考える生徒の育成
心情を培い(徳育)   相手の立場を理解し、思いやりと温かさのある心豊かな生徒の育成
意志で鍛える(体育)  心と体が健康で、気力と体力の充実したたくましい生徒の育成


杉並区立高井戸中学校

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概要

1947年4月に開校。

1982年度からは難聴学級が設置されており、区内に在住する聴覚障害者が通学する。

校歌は金田一京助が作詞、高木東六が作曲を担当した。

また、当中学校のシンボルとして、『アンネ・フランクの薔薇』が1976年に植えられ、代々の在校生に花守が引き継がれながら現在もその花が咲いている。

沿革
1947年 - 本校が開校。
1957年 - 校歌(作詞:金田一京助、作曲:高木東六)が制定。
1977年 - 学校創立30周年記念式典を開催。
1982年 - 難聴学級の設置により、聴覚障害者教育を開始。
1998年 - 学校創立50周年記念式典を開催。
2007年 - 学校創立60周年記念行事等を開催。


最後の同窓会

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あなたの同窓会は、
これから?
経験した?
未経験?
同窓会は、実年齢を忘れるひと時を作ります。


60歳の同窓会――50年ぶりに再会した小学校の同級生たちがなぜか遺体とドライブに!? わけありの大人たちの“奇妙な同窓会”を描いた笑って泣けるロードムービーです。







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他に無いオンリーワンの才能をお持ちの方、1つのジャンルではトップの才能をお持ちの方、
隠れた才能をまだ表現できてない方等 ご相談ください。




府中市立府中第十中学校

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沿革
1980年(昭和55年)4月1日 - 開校

校区
西原町三丁目及び四丁目の全域
分梅町三丁目の50番(5及び21)、51番及び56から62番
住吉町三丁目の1から15番
四谷二丁目の1から21番
日新町一丁目、二丁目及び三丁目の全域
日新町四丁目の1から45番
日新町五丁目の1から21番
本宿町一丁目の9番、10番(6から26)、11から17番、18番(5から12、21、22、25及び27)、19番(2、4から8、11、12、14から19、23及び24)、36番、38番、40番及び41番
本宿町二丁目の22番及び24番
西府町の全域

交通
JR東日本南武線谷保駅から徒歩10分
JR東日本南武線西府駅から徒歩12分



狭山市立山王中学校

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沿革
1977年4月1日 - 設立。
1988年4月1日 - 入間野中学校が新設分離。

部活動
運動系 野球部
サッカー部
ソフトテニス部(男女)
バスケットボール部(男女)
バレーボール部(女子)
卓球部(男女)
陸上競技部
剣道部

文化系 吹奏楽部
科学部
美術部


通学区域

山王小学校全てと御狩場小学校の一部区域

交通

最寄り駅は西武鉄道新宿線入曽駅。

豊島区立巣鴨北中学校

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教育目標
自主
自立
連帯

創立
2001年(平成13年)4月1日

住所
東京都豊島区西巣鴨3-17-1

面積
敷地:約13,220m2
建坪:5,774m2

部活

運動部
サッカー部
野球部
バスケットボール部
硬式テニス部
バレーボール部
バドミントン部
フェンシング部(廃部)

文化部
吹奏楽部 
工作部
ボランティア部(廃部)
茶道部
家庭科部
美術部
チェス部
伝統芸能部
和太鼓部(特別支援学級所属生徒のみ対象)
邦楽部



ふじみ野市立葦原中学校

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行事
4月 - 入学式 ここで新入生は全員呼名される。入学後 宿泊学習1年生が1泊2日の日程の自然の多いキャンプ場等(場所は不定)で共同生活を営む。
5月 - 体育祭  縦割りでチームを作って行われる。優勝チームには杯が授与される。
9月 - 修学旅行  公立中学校では珍しく、3年次で行われる。京都・奈良・大阪にて2泊3日の日程で行う。
11月 - 合唱コンクール  近辺にある東邦音楽大学グランツザールで行われる。各学年1クラスに最優秀賞が贈られ、最優秀賞を獲得したクラスは市内音楽会に参加する。代表生徒と学年主任等の学年外の教師と、外部から招聘された講師が審査を行う。ただし、この外部講師は音楽の専門家とは限らないが、配点は他の審査員より高い。
2月 - 3年生を送る会 実行委員が組織され、3学期最大のイベントとなる。体育祭の時と同じチームで、会場となる体育館を装飾する。
3月 - 卒業式

生徒の執行組織
◎生徒総会
生徒会役員
学級委員会
その他7つの専門委員会

実行委員会等特別な機関
選挙管理委員会(補助機関)
合唱コンクール実行委員会
3年生を送る会実行委員会
修学旅行実行委員会(学級委員会兼務)
校外学習実行委員会(学級委員会兼務)

生徒総会

6月 - 7月に生徒総会が行われる。生徒会規則では「最高の議決機関」と定められている。

学校の基本方針

「地域に愛される学校」を目標としている。地域清掃や、地域住民との共同企画である「葦原祭」などが行われ地域に根ざした学校であるといえる。 なお、「地域清掃」や「葦原祭」の様子はローカルケーブルテレビで放映されたようである。 在校生によると、毎朝地域住民が校門前に立ってあいさつをしているということだ。

部活動
野球部
サッカー部
男子バスケットボール部
女子バスケットボール部
女子バレー部
女子ソフトテニス部
陸上部・・・ほぼ毎年県大会に出場している
卓球部
自然科学部
美術部
吹奏楽部・・・全国大会に出場したことがある(リコーダーコンテスト)

著名な卒業生
太田光(爆笑問題)
高城剛(ハイパーメディアクリエイター)
長峰由紀(アナウンサー)
嶋重宣(元プロ野球選手)
高畑博(ふじみ野市長)
ヤスヒロ(声優)
森子竜



日野市立日野第二中学校

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学校の沿革
昭和29年度 設立認可、開校式、入学式(生徒202名)
初代 橋本貴一校長  着任
第2期工事8教室増築落成
昭和30年度 第2代 増山 恒校長 着任
第3期工事竣工落成
昭和31年度 第一回卒業式(卒業生204名)
昭和32年度 校旗・校歌制定
昭和34年度 産業教育研究校に指定される
昭和35年度 特別教室(工作、調理、理科)竣工落成
昭和36年度 第2期特別教室竣工落成
産業教育研究発表  修学旅行研究発表
昭和37年度 プ-ル竣工落成
昭和38年度 保健体育研究発表会
昭和39年度 普通教室竣工
創立10周年記念式典挙行
昭和40年度 体育館竣工落成
昭和41年度 第3代 飯田 栄一校長 着任
防音校舎第1期工事完成(6教室)
昭和42年度 防音校舎第2期工事完成(18教室)
プール用更衣室工事完成
昭和43年度 南校舎前“境裁花壇”完成
    体育倉庫と校庭用お手洗い完成
昭和46年度 第4代 河村 俊一郎校長 着任
昭和48年度 第5代 飯田 卯吉校長 着任
創立20周年記念式典挙行
昭和49年度 技術科教室及び同準備室改造整備  中庭ほかエクステリア整備
昭和50年度 南校舎6教室増設
昭和51年度 第6代 小林 政之助校長 着任
昭和55年度 第7代 渡辺 吉彦校長 着任
第2技術室の新設
昭和59年度 第8代 小林 節夫校長 着任
   創立30周年記念式典挙行
昭和61年度 給食棟建設工事竣工落成
昭和62年度 給食開始  健全育成相談室設置
昭和63年度 第9代 大野 隆久校長 着任
平成 元年度 青桐祭-合唱の部-市民会館で挙行
平成 3年度 コンピュータ室新設
平成 6年度 第10代 日食 和雄校長 着任
創立40周年記念式典挙行
平成 8年度 校庭南側防球フェンス設置
平成10年度 心の教室相談員配置
平成11年度 第11代 櫻井 郁男校長 着任
健全育成相談室を教育相談室に改修
         スクールカウンセラー配置  校庭一部表面改修
         ソフトテニス部男子団体全国優勝  テニスコート夜間照明設置
平成12年度 学校公開週間実施  コンピュータ室に新ハードウエア導入
       ソフトテニス部男子個人全国第3位
平成13年度 第12代 秋山 讓児校長 平成14年1月8日着任
    学校運営連絡協議会 設置
         ソフトテニス部男子個人全国大会出場
平成14年度 南校舎耐震補強工事竣工、非常階段塗装工事実施
         ソフトテニス部男子全国大会出場
平成16年度 開校50周年記念式典挙行
    ソフトテニス部男子全国大会出場
平成17年度 第13代 山田 悟志校長 着任
平成18年度 日野市研究奨励校に指定される
平成19年度 総合的な学習の時間研究発表会
平成21年度 第14代 尾形 斉校長 着任
自閉症・情緒障害特別支援学級「1組」の開設
教育目標
自主自立の精神を養おう
思いやりのある豊かな心を育てよう
心身ともに健康な身体をつくろう

部活動
ソフトテニス部の男子が平成11年度に団体で全国優勝している[1]。 その他にも都大会優勝歴のあるサッカー部、吹奏楽部、ボランティア部などが盛んである




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