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川越市立川越西中学校

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沿革
1983年 - 開校、校章制定
1997年 - さわやか相談室設置
1998年 - インターネット回線設置
2001年 - 非常災害用備蓄庫設置
2002年 - 11月 太陽光発電装置設置
2003年 - 6月 文部科学省より理科教育推進モデル事業の推進校として理科大好きスクールの指定を受ける。
2004年 - 11月 「理科大好きスクール」の発表

校歌

作詞:初年度職員一同、作曲:高橋裕。

生徒会・部活動など

部活動

運動部
サッカー部・野球部・陸上部・バスケ部・テニス部・女子バレー部・卓球部・剣道部・柔道部

文化部
吹奏楽部・美術部・科学

専門委員会

学級代表・福祉・給食・体育・放送・保健・環境・図書

学区

川越西中学校は川越市北西部の新興住宅地が密集した地域を校区としており、川越市の中でも規模の大きな中学校である。川越市立川越西小学校に隣接しており、生徒は約半数が同校からの進学者で占められる。残りの半数は川越西中学校から徒歩約10分の位置にある川越市立霞ヶ関北小学校からの進学者である。

所在地
〒350-1176 川越市川鶴一丁目1番地 校舎の裏手は川越市と鶴ヶ島市の市境にあたる。




足立区立竹の塚中学校

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沿革
1970年 - 開校、当初は足立区立渕江中学校の校舎を借り受けた。校歌制定。(作詞、米津千之、作曲、渡辺浦人)
1988年 - 陶芸小屋設置。

所在地
東京都足立区西保木間4丁目12番地13号
東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅からバスで足立清掃工場前から徒歩4分

周辺
足立区立西保木間小学校
足立清掃工場
毛長川

部活動
バレーボール部 関東中学校バレーボール大会3回戦(1978年)
東京都中学校吹奏楽コンクールB組金賞

進路
平成18年度卒業生中、50名中、46名が進学(41名が国公立学校)



東京朝鮮第四初中級学校

川島町立川島中学校

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沿革の大要

1954年11月3日 - 中山村、伊草村、三保谷村、出丸村、八ツ保村、小見野村の6ヶ村を廃し、川島村を置く。
1958年9月30日 - 三保谷、八ッ保中学校を統合して川島中学校となり、八ッ保に分教場を置く。
1958年11月3日 - 川島村立川島中学校新校舎起工式を挙行する。
1959年4月1日 - 伊草、小見野中学校廃校、川島中学校に統合。両校分教場となる。
1960年4月1日 - 中山、出丸中学校廃校、川島中学校に統合。本校舎竣工全村2・3年生収容。1年生は三分教場を廃止し、新たに設けた三保谷(伊草、三保谷、出丸)八ッ保(中山、八ッ保、小見野)分教場に収容する。
1961年1月8日 - 第一期工事(本校舎)第二期工事(管理棟)竣工。落成式挙行。 3月15日 - 全村生徒を本校屋外の一ヶ所に集め、卒業式を挙行。
4月11日 - 分教場を廃止し全生徒を収容。
9月30日 - 「開校記念日」に制定。

1962年2月16日 - 校旗受領、寄付者 日興不動産KK社長 片岡正寛。 2月22日 - 校歌制定 
3月29日 - 体育館(延304坪)技術科棟(107坪)竣工。落成式挙行。体育館ー鉄筋鉄骨 工費 2,091万円 技術科棟ー鉄骨 工費 548万円 日興証券 会長・遠山元一1,000万円寄付
4月1日 昭和37年度英語教育(県教委)美術教育(埼美連411)研究委嘱される。
7月14日 水泳プール竣工 落成式挙行(工費375万円)神田乾電池 神田政吉 250万円寄付

1963年11月7日 - JRC研究発表会(日赤埼玉支部・県教委)
1964年4月28日 - 本校統合5周年記念植樹(PTA・後援会) 11月24日 - 県委嘱、美術(図画工作)・英語(12月11日)研究発表会
12月13日 - 村統合10周年記念庭園完成 昭和40年12月12月13日 中庭完成

1967年12月7日 - 昭和41、42年度県委嘱、生徒指導研究発表会
1972年11月3日 - 川島町町制施行により川島町立川島中学校と改称する。
1979年4月1日 - 昭和54年度学校保健統計・同和教育研究(県・文部省)委嘱される。
1980年4月28日 - 埼玉県学校緑化コンクールに入賞 12月12日 - 川島中学校完全統合20周年記念式挙行、記念事業(生徒憲章碑建立、記念造園)の実施

1981年3月5日 - 文部省・県教委より研究委嘱・同和教育「人間尊重の生き方を育てる同和教育の推進」の発表(テレビ埼玉の放映、研究紀要の発行) 5月16日 - 県立教育センターより研究協力校に委嘱される。(学校教育目標の具現化)
5月27日 県教育委員会より小中学校基礎学力向上対策研究校(数学)に委嘱される。

1982年5月14日 - 県立教育センター協力校、第二年次(学校教育目標の具現化)
1983年6月10日 - 県PTA連合会よりPTA研究委嘱を受ける。
1984年3月31日 - 新校舎(プレハブ)6教室竣工。
1985年4月1日 - 県教育委員会より教育放送委嘱される。
1986年3月3日 - 屋内運動場竣工、駐車場設置(本館北) 10月31日 - 研究委嘱・教育放送 研究発表。
5月 - 仮設校舎(プレハブ)3教室竣工。
8月本館窓枠工事(2階)

1987年8月 - 校庭暗渠排水工事、本館窓枠工事(1、3階)
1988年3月 - 部室新築
1989年4月7日 - 新館2号棟(プレハブ)10教室竣工。
2010年11月19日 - 統合50周年記念式典挙行

校歌

作詞:永井隆明、作曲:入野義朗で歌詞は3番からなる。

校樹

校樹は銀杏。昭和55年12月12日に挙行された「川島中学校完全統合20周年記念式」にあたり、永井隆明校長(当時)により制定された。

著名な卒業生
宇津木妙子(元全日本女子ソフトボールチーム監督、現国際ソフトボール連盟副会長)




東京都立武蔵高等学校・附属中学校

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概要
府立十三高女を前身とする東京多摩地域の都立高等学校である。2008年度から併設中学を3クラス編成し、併設型中高一貫制となる。定時制は2007年度から募集停止となった(2008年度から杉並区の荻窪高校内へ武蔵高校荻窪分校定時制課程として移転し、2010年3月に閉課)。学校群制度時代は三鷹高校と共に74群をなしていた。
「自主自律」と「文武両道」の精神が根付いた校風で、高校3年間は自由服など自由度は高く、行事や学校予算など、学校生活の大部分が生徒の自主性と裁量に任されている。部活動でも生徒の自主性が尊重されており、部活動加入率は100%近い(#部活動も参考)。2002年には校舎が建て替えられた。
中学1年次から習熟度別授業や少人数授業が多様されるほか、土曜日講習も月2回程度実施される。また高校1年次には勉強合宿が実施される。独自科目の地球学では、社会科学と自然科学を横断して地球上のあらゆる事象について学ばれ、教科の枠を越えた学習がされる。高校1年次は高入生と別クラス、高校2年次より混合クラスとなる。2007年度入試からは自校作成問題が3教科で実施されている。
入学者選抜で課される適性検査は他の公立中高一貫校と比較して問題量が多く、難易度も高めに設定されており、小石川と同じく、私立中学併願者が多いことをかなり意識した問題内容となっている。小石川・武蔵・両国で「都立中御三家」と称されることがある。

教育目標
豊かな個性、優れた知性
健康な体と心
向上進取の精神

名称
練馬区に私立の武蔵高校があり、同校と混同されることがある。武蔵野市内の都立高校には他に武蔵野北高校があるが、こちらは「野」が付いている。

沿革
1940年 - 1月12日、東京府立第十三高等女学校創立、4月10日に府立高等家政女学校(現東京都立鷺宮高等学校)内にて入学式を挙行
1941年 - 現校地に移転、東京府立武蔵高等女学校と改称。
1949年 - 東京都立武蔵女子高等学校と改称。
1950年 - 東京都立武蔵高等学校と改称、男女共学開始。
1952年 - 学区合同選抜制度導入。
1967年 - 学校群制度発足。三鷹高校と74群を組む。
1982年 - グループ合同選抜制度導入。同時に学区改編が行われ、第九学区・91グループに編成される。
1994年 - 単独選抜となる。
2000年 - 創立60周年。
2002年 - 新校舎完成
2003年 - 新グラウンド完成
2010年 - 創立70周年、中高6学年が揃う。

行事
三大行事として6月に音楽祭、9月中旬に体育祭、文化祭が行われる。これ以外にも地球学発表会、新入生歓迎会、遠足、球技大会、修学旅行などの行事がある。
地球学発表会
「地球学」で行った個人研究集大成として、中学3年次に中間発表が開催され、高校2年次に最終発表が開催される。大学レベルの論文を目標とする。なお、高入生は高校2年次の発表会に参加する。
音楽祭
武蔵高校伝統の行事である。たいていの場合、一学期の中間考査後に本格的に準備が始まり、生徒は朝練習や放課後練習など、生活の様々な時に合唱練習に打ち込む。本番は所沢市民文化センター ミューズの大ホールを利用して行われる。クラス発表と各部活の発表があり、最後にクラス発表に関連した表彰がある。音楽祭は音楽祭実行委員会(通称音実)によって夏から、つまり開催される前の年から打ち合わせを重ね企画されている。高校の衣装は各クラスによって大きく異なっており、曲に合わせてデザインされたものなど、特に高校3年生の衣装は非常に凝っている。
体育祭
夏休み前から準備段階に入り、夏休み後半に集中して練習がある。高校1~3年生を赤・青・黄・白・緑の5つの団に分け、団対抗で競技を行う。個人競技はなく、全員リレーや騎馬戦、棒倒しなど団体競技のみである。目玉競技はダンスであり、各団ごとにダンスを行う。男子のみを"カタ"、女子のみを"ギャルズ"、男女数ペアのものを"アトラク"という(カタ、ギャルズは全員参加だがアトラクは各団20組程度)。これは総合順位と別に順位と表彰がある。また、競技の他にも各団が前々から準備・作成する団旗があり、概ね2m×3mの布に絵が描かれたものである。これもまた、総合順位と別に順位と表彰がある[2]。中学のほうも3団に分けて行う。
文化祭
2日にわたって開催される。発表形式はクラスは展示と食品、部活は展示・舞台発表・競技実演・食品などがある。また職員劇もある。地域住民などの来客が多く、生徒以外が多くなるため、生徒は接客に奔走する。準備はたいていの場合、体育祭と並行して行われ、体育祭後に本格化する。
武蔵高校の文化祭実行委員会は通称文実(ぶんじつ)と呼ばれる。文実は、正式にはクラス文実と文化祭実行委員の2種類がある。ここで説明するのは「文化祭実行委員」の文実である。文実は委員長をはじめとする、以下に示す8つの班から成り立つ。文実は、各クラスから2人ずつ年度始めに選出されるが、前年度に文実だった者は、この各クラス2人に関係なく、文実になることができる。
活動期間は主に4月から文化祭当日までと、文化祭後の大きく分けて2つがある。前者の期間では、主に、文化祭当日へ向けた準備がなされる。また、後者の期間では、会計処理や総括の作成がある。これら、すべての活動は生徒が主体となって行われ、顧問はアドバイスをする程度に留まる。
企画班
各団体の出し物の管理をする。危険な出し物がないか、企画段階でチェックし、来校者の安全確保に努める。また、各団体で、装飾の行き過ぎを防ぎ、公平を期するため、装飾規定を定め、文化祭当日は、規定違反があった場合、警告する。
会場班
会場班の主な役割は、体育館や会議室の照明である。照明は原則すべて会場班が設置しており、その年によって、設置の仕方が微妙に異なる。また、会場班は、文化祭外でも活躍する、文実内唯一の班であり、ダンス部の公演の照明も担う。
後夜祭班
後夜祭の運営の全般を担う。通常、前年度文化祭経験者の内、会場班から1人のみ選抜される。普段は会場班として、この班の構成員は活動するが、後夜祭関係になると、会場班のサポートはあるものの、事実上1人で活動する。オーディションや、タイムテーブル等が主たる仕事となる。
会計班
各団体で使用する予算の管理を行う。クラス団体には15,000円、有志団体には3,000円が予算として提供される。これ以上の額は、各団体が支払うことになる。余った分は、返却する。予算として使用した分は、各団体が文実に会計を報告しなければならない。各団体からの会計報告をチェックし、最終的に生徒会に報告する。この予算で、文化祭の準備等に不必要な物を購入することを防ぐための基準等も会計班が決めている。また、会計報告は、文化祭後に行われるため、事実上、文実のなかで最後まで活動している班となる。
食品班
食品団体の調整や、売上金の管理などを行う。2006年は4つの団体が主食を提供した。
ゲート・PR班
ゲート班は、校門付近に毎年設置されるゲートのデザイン募集から、作製までの全工程を担う。PR班は、文化祭のポスターとパンフレットのデザイン募集から、作製までの全工程を担う。また、PR班は校内に、掲示される各団体のポスターの管理も行っており、各団体で掲示可能な、ポスターの枚数などを決めている。
物品班
文化祭で使われる、机、椅子や暗幕等の管理を行う。一番の大仕事は、文化祭前日と、文化祭後に行われる、物品移動と呼ばれる、机、椅子の移動である。武蔵高校の文化祭では、各クラス団体が、必ずしも、自分のクラスで出し物を出せるとは限らない。そのため、文化祭前日には自分のクラスから、出し物を行うクラスへ大移動を行う必要がある。その際に、事前に文実へ提出した使用希望の物品の移動を行う。移動は、混乱を避けるため、文実が放送によって指示を出している。
文実企画班
通称文企。文実3年生から構成される。特に、前年度、委員長や各班の班長だった人が中心となる。後夜祭において、文実からの出し物として、毎年、なんらかの出し物を行う。2006年には帰ってきた!!輝け☆第2回文化祭大賞の入賞団体発表、2005年は後夜祭のパンフレットの配布と来校者ヒアリングアンケート、2004年は輝け☆第1回文化祭大賞の入賞団体発表が行われた。

部活動
中高共にあるものは◎、中学単独のものは☆、高校単独はのものは◆を記してある。

体育系クラブ
陸上競技部◎
ラグビー部◎
硬式野球部◆
男子バレーボール部◆
女子バレーボール部◎
バドミントン部(男・女)◎
バスケットボール部(男・女)◎
ソフトテニス部◆
卓球部◆
水泳部◆
柔道部☆
山岳部◆
サッカー部◎
剣道部◎
硬式テニス部(男・女)◎
ダンス部◆
合気道部◆

文化系クラブ
合唱部◎
吹奏楽部◎
お菓子研究部◎
生物部◎
美術部◎
軽音楽部◆
茶道部◎
漫画研究部◆
室内楽部◎
パソコン部◎
天文部◎
演劇部☆
部(生徒会に付属)[編集]
放送部◆
編集部◆

同好会
演劇同好会◎
柔道同好会◆

委員会活動
委員会活動も生徒の自主性が重んじられており、盛んに行われている。ここでは高等学校の委員会活動について紹介する。
HR委員会
風紀委員会
厚生委員会
整備委員会
図書委員会
広報班
整備班
新入生歓迎会実行委員会(1年のみ)
部活班
当日班
冊子班
音楽祭実行委員会
体育祭実行委員会
文化祭実行委員会⇒#文化祭参考
選挙管理委員会
クラブ委員会(各クラブの代表者によって構成)
旅行委員会(臨時)
クラブ委員会を除き、基本的に各HRからそれぞれ2名が委員になる。

著名な卒業生
政治
高原須美子 - セ・リーグ会長、元・経済企画庁長官
土屋正忠 - 元代議士、元武蔵野市長
西川京子 - 元代議士、元厚生労働副大臣
朝木明代 - 代議士
清水庄平 - 立川市長
石川良一 - 元稲城市長
行政
寺田達志 - 地球環境審議官、元環境省地球環境局長
法曹
上村哲史 - 弁護士
金崎浩之 - 弁護士/定時制
学者
賞雅寛而 - 東京海洋大学教授
伊藤智義 - 千葉大学教授・漫画原作者
文化
是枝裕和 - 映画監督
田中泯 - 舞踏家
石垣和代 - バレエ
岩本敬子 - 『窓ぎわのトットちゃん』の編集者
福間洸太朗 - ピアニスト
大宅裕 - ピアニスト
安食総子 - 女流棋士
樹林伸 - 漫画原作者
スポーツ
前田和明 - 元サッカー選手
芸能
河原崎長一郎 - 俳優
岩下志麻 - 女優
岡野進一郎 - 俳優
宮之上貴昭 - ジャズギタリスト
放送・ジャーナリスト
竹内恒雄 - 自由報道協会ジャーナリスト・音楽ジャーナリスト
奥寺健 - フジテレビアナウンサー
森本健成 - NHKアナウンサー
吉崎典子 - フジテレビアナウンサー
掛貝梨紗 - フリーアナウンサー

交通アクセス
JR武蔵境駅北口より徒歩10分、又はバス「武蔵高校前」下車すぐ。


川越市立城南中学校

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昭和22年4月1日 川越市立第4中学校設立
 22年5月15日 開校式
 25年6月1日 校名を川越市立城南中学校と変更
 平成8年(1996年)に開校50周年を迎え、11月16日に川越市長・歴代の校長先生など多くの
来賓をお迎えし、記念式典を行いました。

校歌
作詞:吉村比呂詩、作曲:松本民之助。

部活動
運動部バスケ部(男・女)
ソフトテニス部
女子バレー部
卓球部(男・女)
剣道部
柔道部
陸上部
野球部
水泳部
サッカー部
文化部吹奏楽部
美術部
家庭科部

生徒会専門委員会
学級
評議
生活安全
環境
福祉
放送
給食
図書
体育
保健
選挙管理

所在地
〒350-1124 埼玉県川越市新宿町三丁目19番1号





足立区立西新井中学校

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沿革
1975年(昭和50年)4月1日 - 東京都足立区立西新井中学校が開校。
1975年(昭和50年)5月1日 - 学校の木「はなみずき」制定式を行う。この日を開校記念日とする。
1975年(昭和50年)6月2日 - PTA設立。
1975年(昭和50年)10月3日 - 校歌制定。 作詞江間章子 作曲團伊玖磨
1975年(昭和50年)10月6日 - 校旗制定。
1975年(昭和50年)11月5日 - 開校記念式典。
1978年(昭和53年)5月4日 - 三周年記念式典。
1978年 (昭和53年) 3月10日 - 校舎増築完成。屋上にプール完成。
1984年(昭和59年)11月2日 - 創立十周年記念式典。
1994年(平成6年)11月2日 - 創立二十周年記念式典。
2004年(平成16年)6月27日 - 同窓会発足。
2004年(平成16年)11月6日 - 創立三十周年記念式典。

教育方針
よく考え知性を磨く
学びあい品性を高める
すすんで体力をつける

行事
4月 入学式・始業式
5月 生徒総会•離任式
8月 夏休み
9月 生徒会本部役員改選選挙
10月 終業式・始業式・文化祭
11月 舎人公園でマラソン大会
3月 卒業式・修了式

通学区域

小学校では西新井第一小学校・西新井第二小学校・西伊興小学校・鹿浜第一小学校の通学区域にあたる。
足立区 西伊興一丁目1番、4番、5番、8番、9番、12番、13番、16番、17番
西新井全域
谷在家一丁目


部活動

運動系
陸上競技部
バスケットボール部
バドミントン部
バレーボール部
ソフトテニス部
野球部
水泳部
卓球部
サッカー部

文化系
読書部
技術部
吹奏楽部
英語部
美術部
手づくり部

アクセス
東京都交通局日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅下車 徒歩2分
東武大師線大師前駅下車 徒歩15分
東武伊勢崎線・大師線西新井駅 西口 東武バス皿沼循環「江北郵便局前」下車徒歩2分
東口 東武バスはるかぜ「西新井中学校前」下車徒歩1分







開成中学校・高等学校

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概要

1学年の生徒数は中学300名、高校400名となっている。 「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。 校風は質実剛健。運動会・水泳学校・ボートレース・マラソン大会などの硬派な行事が開成の特徴を表している。

初代校長は元総理大臣・大蔵大臣の高橋是清。

東京大学合格者数が33年連続で首位(1982年 - 2014年)である(#進学実績も参照)。

沿革

1871年、加賀藩の洋学・砲術・海洋学の講師から小石川造兵司頭になった佐野鼎らによって神田相生橋(現 神田淡路町)に共立学校(きょうりゅうがっこう)として創立された。この時代の卒業生に高田早苗らがいる。佐野の死後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門の教師をしていた高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任し、大学予備門への進学者のための寄宿制の受験予備校として改革、英学科と和漢学科の二科の三年制(予科1年、本科3年)と定めた。是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。以降も、東京英語学校(現・日本学園中・高)や成立学舎などとともに、一高への合格者数上位校として知られていた。

1886年および1891年の中学校令公布により、1府県1中学以上と定められたことで、東京に受験生が集まらなくなった私立各校は軒並み経営が傾いた。そのためもあって1891年の尋常中学校令により尋常中学共立学校と改組・改称。さらに、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中学(現・都立戸山高校)が、次いで共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。「開成」という名称は、易・繋辞伝(けいじでん)にある「夫易開物成務」という言葉が由来である。

まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったこともあって、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1903年には開成夜学校を併設。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。

また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと。1920年に初めて行われた東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。

交通アクセス
JR山手線・東京メトロ千代田線西日暮里駅より約100m(徒歩1分)
東京都交通局日暮里・舎人ライナー西日暮里駅より約300m(徒歩4分)
東京都交通局・都営バス草63系統・里48系統西日暮里駅バス停 なお、西日暮里駅の開業(営団地下鉄は1969年、国鉄は1971年)までは国鉄田端駅(約800m)と国鉄・京成電鉄日暮里駅(約900m)が最寄り駅だった。


校風・特徴

学校の方針に基づき、行事や部活動の運営・管理は生徒に任せられる。特に運動会や文化祭においては教員が行うことはほとんどない。

高3の運動会を終えて本格的な受験勉強を始めるという生徒が大半で、学校側もそれに合ったカリキュラムを組んでいる。

運動会では中1から高2までをすべて高3が指導するので、入学当初から常に上下関係を重んじる体質となっている。

進学実績[編集]

2014年度の大学合格者数(浪人含む)は、東京大学が158名(うち157名が進学)、慶應義塾大学が191名(うち50名が進学)、早稲田大学が225名(うち33名が進学)である。

関東圏以外の大学への進学は少なく、京都大学は合格者3名(うち2名が医学部医学科)である。

年間行事
4月 - ボートレース
5月 - 運動会
7月 - 水泳学校
9月 - 文化祭(開成祭)
11月 - マラソン大会
2月 - 中学・高校入試

ボートレース

1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高校のボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。平成に入って以降7勝19敗と大きく負け越しているが、2010年から2012年に3連勝している。2014年現在の通算成績は43勝43敗である。

運動会

例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。生徒運営の「運動会準備委員会」、「運動会審判団」、「運動会審議会」の下、高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。中高合同で行われ、高校はクラスごと(1組から紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒と色が割り振られる)、中学は各クラス5・6人ずつ縦割りで前述の8組に分ける(中学は6クラスのため)。各組の運営は高3に委ねられ、下級生の指導も高3が行う。

水泳学校

毎年7月、千葉県館山市の施設で中1が全員参加する。

文化祭

毎年9月に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークル、有志などが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。一部の運動部はグラウンドや体育館を利用して招待試合を行う。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はない。

多くの生徒は高2の文化祭から12月にかけて部・サークル活動を引退する。そのため文化祭は代替わりの象徴的行事としての性格もある。高3は文化祭への参加は任意であるが、参加しないのが慣例となっている。

マラソン大会

荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5km、中2・3が6km、高校生は8kmである。

部活動・個人活動

学内には52の公式部、および15を超える同好会がある。運動部は運動会で利用される土の第2グラウンドや小体育館、小講堂、大体育館、テニスコートなどで活動する。硬式野球部では、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会で東東京大会のベスト16に入った。

文化部では全国大会で優秀な成績を収める例がある。俳句部は、俳句甲子園として知られる「全国高校俳句選手権大会」では17回大会のうち8回の優勝という好成績を収めている。他にも、国際数学オリンピックや国際化学オリンピックなど、高校生(中学生)を対象とした理数系の国際競技大会に、同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がある。近年では、日本テレビ系の「全国高等学校クイズ選手権」で第30回(2010年)・第31回(2011年)・第32回(2012年)と3連覇を達成している。また弁論部は全国中学・高校ディベート選手権に19回中11回出場し、19回大会では全国3位という好成績を収めた。

学校関係者と組織

関連団体
開成会 - 同窓会

高校関係者一覧

「開成中学校・高等学校の人物一覧」を参照

関連学校

開成から分離独立した学校
逗子開成中学校・高等学校(神奈川県逗子市) 1903年 - 第二開成中学校として創立
1909年 - 逗子開成中学校として分離独立

昌平中学校・昌平高等学校 1903年 - 神田淡路町の東京開成中学校内に開成夜学校として創立
1923年 - 関東大震災での校舎焼失を機に、1926年に神田駿河台に分離
1936年 - 昌平中学となる
1948年 - 昌平高等学校となる
1966年 - 募集停止し1979年に廃止


※東日本国際大学附属昌平中学・高等学校という学校が2000年、福島県いわき市に新設されたが、開成学園と人的・資本的な繋がりはなく、無関係。

開成の関係者が設立した学校
鎌倉女学院中学校・高等学校(神奈川県鎌倉市) 1904年 - 鎌倉女学校として創立
1948年 - 鎌倉女学院となる


関連文献
『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一編 1977年に発生した、同校生徒がその父親に殺害された事件を題材の一つにした著作。被害者となった生徒による家庭内暴力の継続が事件発生の原因とされ、マスメディアで大きく報じられた。

『開成学園 男の子を伸ばす教育』(小学館、2009年11月初版発行) - 芳野俊彦(発行当時開成中学・高等学校長)著
おおたとしまさ著『中学受験 注目校の素顔 開成中学校・高等学校 学校研究シリーズ001』(ダイヤモンド社、2013年10月17日初版発行)





鳩山町立鳩山中学校

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概要
鳩山町にある唯一の中学校であり、鳩山町全域が校区である。

沿革
1947年4月1日 - 鳩山村立鳩山中学校として開校する。
1982年(昭和57年)4月1日 - 町制施行により、鳩山町立鳩山中学校として開校する。

生徒数
1990年台前半は鳩山ニュータウンの居住者によって生徒数800人以上を超えていたが、ニュータウン居住者の年代別世代構成・都心回帰によって生徒数が減少し、現在は300人前後である。[1]

校区
鳩山町立今宿小学校
鳩山町立亀井小学校
鳩山町立鳩山小学校

出身者
吉田秀行(ボニージャックス)





北豊島中学校・高等学校

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概要

全日制女子校は、高等学校段階から特進・総合・国際英語の3コースに分かれており、全コースにおいて英語教育に力を入れており、少人数制教育と「徹底的」な個別指導により進学実績を上げてきている。

沿革

年表
1926年 秋上ハルらが北豊島女学校を創設
1943年 財団法人北豊島学園として法人化。高等女学校に昇格
1949年 学制改革により北豊島中学校・高等学校に改編
1950年 北豊島幼稚園を開設
1951年 財団法人を学校法人に組織変更
1957年 北豊島中学校を一時休止
1976年 創立50周年記念式典挙行
1980年 栃木県那須町に林間宿泊施設「フローラヒル那須」を開設、千葉県松戸市に運動場を開設
1985年 創立60周年記念事業で専門学校校舎建設
1986年 専門学校シャミナード東京を開校
1990年 北豊島中学校を再開
1991年 ハワイ・ホノルルに語学研修施設「北豊島ホノルルスチューデントハウス」を開設
1992年 高校に通信制課程(男女共学)を設置
1994年 2学期制開始
2002年 北豊島医療専門学校を開校
2006年10月28日 創立80周年記念式典挙行

設置形態
中学校(女子)
高等学校 全日制課程普通科特進コース(女子)
全日制課程普通科総合コース(女子)
全日制課程普通科国際英語コース(女子)

カリキュラム

特進・総合・国際英語の3つのコースが設置されている。近年では進学に力を入れており、各コースとも大学合格率は伸びている。

特進コースは国公立大学・難関私立大学の現役合格を目指しており、事実、進学実績も伸びていて国公立や早慶レベルの合格者も出している。授業は「高1段階から授業ではオリジナル教材やプリント」で行われており、各学年とも英数ではレベル別に多段階化された放課後の進学ゼミ(長期休暇中も実施)が開講されている。また、個別指導が盛んな為、「先生を直撃して勉強を見てもら」うなど、「日常的には集団でなく、個人個人に合った個別指導がいつでも受けられる。毎朝、昼休み、放課後に先生と1対1、1対2などで細かく指導を受けられる」ため、「予備校に通わず現役で合格できるシステムが整って」いる。


総合コースも多数が私立大学の現役合格を果たしているが、生徒の進学希望に応えられるよう、幅広い選択科目の中から、自分の進路実現に必要不可欠な科目選択ができるコースであり、医療系や栄養系、家政・芸術・情報系の短大や専門学校への進学も可能な、幅広い進路目標に対応できる。


国際英語コースは私立大学文系科や、英語圏の大学への進学を目的とし、ネイティブ英語教師や同等のスピーキング能力を持つ日本人英語教師が指導に当たり、3年次には最大で週22時間の英語授業がある。

各コースとも自由参加の夏・冬期休暇中の勉強合宿では、宿泊施設のフローラヒル那須に泊まり、受験勉強が行われる。なお、高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第1学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校である。

土曜講座

生徒一人ひとりの技能と教養を習得させるため、受験対策や趣味に合わせて自主的に選択する。講座には校外から専門の講師を招いている。

受験講座(8講座)
プレTOEFL特講
受験への英語長文入門
受験への英文法入門
英文法実戦解法
古典スペシャル
小論文特講
数学特講I
生物特講

一般教養講座(14講座)
ジャズダンス
クラシックバレエ
ギター弾き語り
お琴
パソコン入門
手話
点字
指圧
料理
護身術
洋裁
美術
ピアノ

学校行事

全日制[編集]
4月 入学式、高1合宿オリエンテーション
5月 スクールコンサート
6月 前期中間考査、リーダースキャンプ
7月 スポーツ大会、高1・2歌舞伎教室、高3オペラ教室
9月 前期期末考査、前期終業式
10月 北桜祭(学園祭)
11月 高2宿泊研修、サイパンマリアナスクールと短期留学
12月 後期中間考査
1月 スキー教室、高1・2冬季スポーツ大会
3月 後期期末考査、高1・2修了式、高3卒業式

生徒会活動・部活動など

部活動

吹奏楽部、バレーボール部、ギター部(クラシックギター)の活動が特に盛んである。

文化系クラブ(13部)
インターアクト
ボランティア
演劇
パソコン
華道
茶道
書道
英語
写真
家庭科
美術
吹奏楽
音楽(歌班とギター班有)
バトン

運動系クラブ(7部)
バレーボール
バスケットボール
ソフトテニス
バドミントン
卓球
剣道

北桜祭

毎年10月に2日間にわたって行われる。1日目が在校生のみを対象とした展示発表、2日目が一般客を対象とした展示発表となっている。女子学校ということもあり、入場は完全チケット制とされ、生徒1人が配れるチケット枚数にも制限がある。さらにチケット配布には保護者の承諾印も必要である。

スポーツ大会

6月に高校と中学で競技で分かれるが2日間にわたり開催される。

体験教室

高1・2年次は7月に歌舞伎鑑賞教室がある。高3年次はオペラ鑑賞教室がある。  また、高1は夏休み頃に高田馬場でボウリング・スケートをする。

制服
冬服 ブレザー  
夏服 ベスト

その他
高等学校の校舎内に北豊島学園幼稚園がある。
グラウンドの敷地面積が狭いため、体育の授業でしばしば道路を隔てて隣接する「尾久の原公園」のグラウンドを利用する。
プールが無いので水泳の授業が無い。
当初学校指定のジャージがピンク色だったが、現在はデザインが変更されたものとなっている。
高等学校に隣接した北豊島医療専門学校があるが、高等学校からの進学者はごくわずかである。

交通
都電荒川線・日暮里舎人ライナー 熊野前駅 徒歩4-6分
京成本線・千代田線 町屋駅 徒歩12-15分
JR宇都宮線尾久駅よりスクールバス 10分

主な出身者
全日制
丘みつ子 - 女優
大原麗子 - 女優
原千晶 - タレント
牧名ことり - OSK日本歌劇団 娘役スター
通信制
安西ひろこ - タレント
山川恵里佳 - タレント
後藤友香里 - タレント
平愛梨 - 女優
中山史奈 - 元タレント ※中退
菅良太郎 - お笑い芸人(パンサー)





白梅学園高等学校・清修中学校

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概要
2006年に中学校を新設し、中高一貫教育を開始したが、中学校を卒業した生徒は原則として高校では中高一貫部に属し、高校課程から入学する生徒とは合流することなく、別の校舎で学習・生活をする(校地は同じ)。

沿革
1953年12月 - 学校法人白梅学園設立。
1964年4月 - 開校。
2006年 - 清修中学校が開校。

教育方針
自由・自主・自律の精神を培う。
学力を高め、体力を養い、精神力をつける。
民主主義と平和と自然を愛し、守っていく心を育てる。
生徒一人一人の人格を尊重し、キメ細かい、ゆきとどいた教育を行うとともに、自分と同じように他人を生かし、大切にする人間味豊かな心情を育成していく。

部活動(中学)
一般的なクラブ活動は授業のカリキュラム外で行われる形をとっているが、清修中学校ではそれらを授業の時間内に組み入れた「エリアコラボレーション授業」を実施している。近隣の大学などから専門家を招聘して指導する。

制服
冬服 - ブレザー ※セーターのオプションあり
中間服 - ニット系ベスト
夏服 - ブラウス ※グレーハイソックス、ニットベストのオプションあり(中学生はなし)

交通
西武国分寺線鷹の台駅から徒歩13分
JR武蔵野線新小平駅から自転車10分
西武バス 寺71 国分寺駅北入口~武蔵野美術大学行き 白梅学園前下車



川越市立砂中学校

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歴史
1981年(昭和56年)4月1日 - 砂中学校創設
1981年(昭和56年)11月15日 - 校章の制定を記念し、開校記念日とする
1981年(昭和56年)11月27日 - プール、体育館、技術科棟完成
1982年(昭和57年)3月18日 - 開校記念式典
1983年(昭和58年)3月10日 - 玄関前に樫の木植樹
1983年(昭和63年)3月31日 - 焼き釜庫竣工
1990年(平成2年)11月13日 - 開校10周年記念事業として花時計を設置
1991年(平成3年)10月1日 - コンピュータ室完成
1997年(平成9年)2月20日 - 受水層取替え工事完了
1997年(平成9年)5月1日 - さわやか相談室開設
2000年(平成12年)11月18日 - 開校20周年記念式典
2001年(平成13年)3月26日 - 武道場移設及びグラウンド改修工事完了
2001年(平成13年)11月8日 - 太陽光発電装置設置
2002年(平成14年)3月31日 - 武道場渡り廊下工事完了
2006年(平成18年)1月10日 - プール目隠しフェンス工事完了

部活動
運動部男子バスケ部
ソフトテニス部
女子バレー部
女子卓球部(男・女)
剣道部
陸上部
野球部
サッカー部
女子バスケ部
文化部吹奏楽部
美術部

行事
新入生歓迎会
対面式
体育祭
樫の木祭
合唱祭
ロードレース大会
球技大会

生徒会専門委員会
学級
美化
図書
給食
放送
保健
緑化
選挙管理
合唱祭実行
樫の木祭実行
体育祭実行

合言葉

花と緑とノーチャイム

所在地
〒350-1133 埼玉県川越市砂260

アクセス

新河岸駅から徒歩23分

近隣中学校
城南中学校
高階中学校
東中学校
南古谷中学校

歴代校長
初代 - 奥山圓準
2代目 - 清水隆雄
3代目 - 野村甚三郎
4代目 - 仲躬直
5代目 - 浅井重昭
6代目 - 木村源作
7代目 - 杉山忠三
8代目 - 神田織文
9代目 - 新井孝次
10代目 - 白根文博
11代目 - 小谷野健史
12代目 - 小川一信
13代目 - 髙橋洋治

伝統

入学、卒業時には、必ずパンジーの花をもらう




府中市立府中第五中学校

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沿革
1962年(昭和37年)4月1日 - 開校

校区
浅間町二丁目の全域
浅間町三丁目の全域
浅間町四丁目の1から6番、7番(1及び4)、8から18番、19番(3、4、7、8、10から13、15、17、19及び20)、20番(11、13から16、23、50及び63)及び22番(1から3、6、9、12及び21)
天神町二丁目の1から9番、11番、12番及び31から34番以外の地域
天神町三丁目の全域
天神町四丁目の全域
新町の全域
栄町一丁目の全域

交通
京王バス「武73」(武蔵小金井駅南口~学園通り~府中駅) 法務局・登記所前バス停から徒歩2分


千代田区立麹町中学校

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概要

千代田区麴町地域に所在する唯一の公立中学校である。1947年4月1日に開校。2005年4月1日に九段中学校が麹町中学校に吸収合併され現在に至る。通称は麹中。

校地は、安田財閥の祖である安田善次郎が、自宅の土地を「庭に植えてあるソテツの木を枯らさないこと」を条件に寄贈したものである。ソテツは現在もシンボルとして存在する。初代校長は、のちの京都大学理学博士である有元石太郎が就任した。現在、脆震の2号館のみを改修しているが近いうちに校舎を全面改修する予定になっている。

近隣には国会議事堂や最高裁判所がある。全校生徒数は308名・10学級編成(1年:3学級94名・2年:3学級97名・3年:4学級117名、2009年7月現在)。

東京都立日比谷高等学校をはじめとする難関校に多数合格者を輩出してきたことから「名門公立中学校」の一つとしてしばしば名前が挙げられる。また、麹町中学校内申書事件(最二小判昭和63年7月15日判時1287号65頁)の判例を通して、法学を学ぶ学生に、また、『積木くずし』の舞台となった学校として年配者に有名である。

1950~60年代、東京大学合格の全国一位は都立日比谷高校であった。その近隣に所在する事から、高校受験過熱化と共に日比谷志望の入学希望者が全国から殺到し、団塊の世代が在籍していた1960年代には全校生徒1700人を数える大規模校であった (当時は番町小学校 - 麹町中学校 - 日比谷高校 - 東京大学と辿る進学コースが、日本のエリートの常道と言われていた)。麹町中学の学区内には番町小学校、麹町小学校、永田町小学校(閉校し、現・麹町小)の三校の小学校があったが、これらにも越境入学者が集まり、附属の幼稚園の時から越境する者も少なくなかった。

現在も学校全体では学力が高く、進学実績も比較的良好である。近隣の中学校と同様、入学時から越境通学する生徒の割合も高い。教科指導では習熟度別授業や少人数授業を以前から実施している。以前は内申点と照合すると、学力と乖離した分不相応の都立高校受験となる生徒も出ていたが、近年は評価方法が相対評価から絶対評価へ変わったことにより都立高校への進学率が増加している。なお、2008年春の都立日比谷高校進学者数は3名であった。

教育目標
自主性・社会性・創造性

部活動

運動部
陸上競技部
ソフトテニス部
バスケットボール部
バレーボール部
水泳部
サッカー部
馬術部

文化部
吹奏楽部
美術部
家庭科部
科学部

主な学校行事

宿泊行事は1年次からある。秋から冬にかけては、毎朝校内のイチョウ並木の落ち葉を掃く、『落ち葉掃き』という独特の行事がある。伝統の卒業講演では、著名人が多数いることから非常に充実している。
軽井沢移動教室(1年、2年)
修学旅行
岩井臨海学校(1年)
運動会
区小中学校陸上競技大会
合唱コンクール
落ち葉掃き
卒業講演 講演をした主な著名人 → 昭和49年度、川上哲治(元巨人軍監督)・平成9年度、大矢明彦(横浜現監督)・平成18年度、第62代横綱大乃国
卒業生を送る会

進学実績(2008年春)
国立高校:筑波大附属駒場1名、学芸大附属2名
都立高校:日比谷3名、戸山1名、白鴎1名、青山4名、両国1名、新宿4名、国際1名、小松川1名、富士1名、広尾1名、目黒2名、豊島1名、文京1名、城東1名、墨田川1名、深川1名、狛江1名他
私立高校:開成4名、海城3名、慶應4名、慶應志木7名、慶應湘南藤沢1名、渋幕1名、早大学院3名、学習院1名、國學院7名、中大高1名他

交通
東京地下鉄 有楽町線・半蔵門線・南北線 永田町駅徒歩5分
東京地下鉄 有楽町線 麹町駅徒歩10分
東京地下鉄 銀座線・丸ノ内線 赤坂見附駅徒歩10分
JR 中央線、東京地下鉄 丸ノ内線・南北線 四ツ谷駅徒歩20分
都営バス 橋63 平河二丁目(都市センター前)徒歩1分

著名な卒業生
加藤紘一(政治家)
保岡興治(政治家)
斉藤斗志二(政治家)
沢雄二(政治家)
保坂展人(政治家)
林潤(政治家)
津島淳(政治家)
伏屋和彦(会計検査院長、元国税庁長官、元内閣官房副長官補)
湯本長伯(九州大学教授)
小和田哲男(静岡大学教育学部教授)
西村康一(亜細亜大学経営学部教授)
岸田森(俳優)
小西政継(登山家)
秀島一生(航空評論家)
山本コウタロー(歌手、コメンテーター)
角野卓造(俳優)
穂積由香里(タレント、穂積隆信の「積木くずし」の主人公のモデルとなった / 2年時に港区立赤坂中学に転校、その後の話が積み木くずし)
二瓶正也(俳優)
露木茂(元アナウンサー / 二瓶と同級生)
川戸惠子(アナウンサー)
川野一宇(NHKアナウンサー)
太田述正(評論家、元防衛官僚)
石原邦夫(東京海上日動火災会長、前ミレアホールディングス社長、前NHK経営委員会委員長)
草刈隆郎(日本郵船会長、経団連副会長)
伊秩弘将(作詞家、作曲家)
真梨邑ケイ(ジャズシンガー、女優)
室希太郎(映画監督、映像プロデューサー)
唐木英明(農学者、獣医師)
貫地谷しほり(女優)





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毛呂山町立川角中学校

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概要
毛呂山町の東部に位置しており、生徒は主に川角小学校、光山小学校から入学する。

昭和22年 3月31日 学校教育法4月1日から施行。旧国民学校(新制小学校)の一部4教室を充当して中学校を設立
昭和22年 4月 1日 入間郡川角村立川角中学校 創立
昭和22年 8月21日 小学校から独立校地選定
昭和23年10月20日 新校舎落成し祝賀式を行う。開校記念日と定める
昭和30年 4月 1日 町村合併により毛呂山町立川角中学校となる。
昭和40年 6月 2日 完全給食開始
昭和46年 1月26日 校歌制定、完成発表会(作詞 宮沢章二、作曲 牧野 統)
昭和46年 4月 1日 センター方式による学校給食開始
昭和46年12月 6日 校旗完成
昭和48年 3月10日 体育館完成
昭和49年 9月 3日 新校舎第一期完成 16教室 鉄筋1階建
昭和52年 3月28日 新校舎第二期完成 管理棟、理科室、図書室、視聴覚室等
昭和53年 2月25日 新校舎第三期完成 技術科室、家庭科室、音楽室、美術室等
昭和53年10月20日 校舎完成 落成式典
昭和56年 2月28日 武道館完成  
昭和56年 3月31日 校庭拡張及び外柵工事
昭和57年 2月10日 プール完成
昭和63年 3月16日 校舎案内板設置(62年度卒業生寄付)
昭和63年 9月10日 外トイレ新設工事完了
平成 8年11月30日 開校50周年記念式典
              (タイムカプセル埋設、モニュメント除幕、記念樹『ヤマボウシ』植樹)
平成16年 9月 1日 体育館西側門扉設置完了
平成18年 4月 8日 全教室コンピュータ無線LAN設置 (WindowsXP配備)
平成19年 2月20日 開校60周年記念誌発行
平成22年 8月31日 北校舎 耐震補強工事完了
平成23年 8月31日 体育館 耐震補強工事完了
平成24年 9月28日 公共下水接続工事完了
平成24年11月30日 消防設備(放送設備)改修工事完了
平成25年 1月31日 外構改修工事完了

部活動
野球部
サッカー部
陸上部
ソフトテニス部
バスケットボール部
女子バレーボール部
卓球部
剣道部
吹奏楽部
美術部





国立市立国立第一中学校

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沿革
1947年 北多摩郡谷保中学校として開校。(授業は東京都立国立高等学校、東京都立第五商業高等学校で開始。)
1948年 校舎落成、移転(現 国立市立国立第二小学校)。
1950年 現在の場所に移転。
1951年 町制施行に伴い、校名を国立町立国立中学校と改称。
1952年 校歌制定。
1957年 国立町立国立中学校分校開校。
1958年 分校(現 国立市立国立第二中学校)が独立、校名を国立第一中学校に改称。
1969年 体育館、プール落成。
1986年 新校舎落成。
1997年 創立50周年を迎える。
創立記念日は5月16日。2003年までは休校だったが、現在は休校日ではない。

所在地・最寄駅
〒186-0002 東京都国立市東4-24-1 (これは国立市立国立第三小学校と同じ住所である)。 JR国立駅、谷保駅から徒歩15分、またはJR国立駅から立川バス・京王バス、矢川駅から立川バス、国立高校前下車徒歩5分。

部活動
2013年度現在、運動部10、文化部8。最近、部活が少し増加した(2003年度は運動部7、文化部4であった)。 ハンドボール部は全国大会への出場経験がある。また近年の女子バスケットボール部は、毎回の様に都大会に出場する程の強豪であった。
運動部
男子バスケットボール部
女子バスケットボール部
男子ハンドボール部
女子ハンドボール部
サッカー部
野球部
女子ソフトテニス部
女子バレーボール部
剣道部
卓球部
文化部
合唱部
パソコン部
演劇部
スケッチ部
リコーダー部
アロマテラピー部
茶道部
囲碁将棋部

施設
校舎は、本館と別館、A組学級(特別支援教育)棟の3棟からなる。別館は特別教室棟である。そのほか、体育館、校庭、25mプール、テニスコートがある。 校庭は比較的広く、ハンドボールなどの都大会にも使用されることがあった。

学力向上フロンティアスクール
本校は平成15年・平成16年度文部科学省学力向上フロンティア事業推進校(学力向上フロンティアスクール)に指定されていた。 学力向上フロンティアスクールとは、生徒の確かな学力の向上を目指し、指導方法等の実践研究を行うものである。 このために実施年度には年に数回研究授業が行われていた。

学区
本校の学区域は、国立第三小の全域と、第二・四・五・七・八小の一部となっている。詳しい住所などは外部リンクを参照のこと。

制服
市内の中学校では唯一、男女ともブレザーである。(他の市内中学校の男子の制服は全て詰襟である。)
2011年は夏の間、自由服(私服)登校期間が設けられた。

通称
国立市民にはたいてい「一中」と呼ばれる。その他の通称は「国立一中」、「国一(くにいち、主にほかの市の一中と区別するときに使う者がいる)」。また、校歌の歌詞や学校便りの名称に使われている「国中(くにちゅう)」は「国立中学校」時代の通称を今もそのまま使っているものである。

主な出身者
伊東四朗(俳優)
宇梶剛士(俳優)
森重樹一(ミュージシャン)
白井克彦(早稲田大学第15代総長)
二階堂黎人(作家)
多和田葉子(作家)
大塚明夫(声優)
ひぃたん(ミュージシャン)




大妻中学高等学校

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概要

1908年に大妻コタカが開いた私塾が前身。日本武道館や靖国神社が近くにある一等地で、「日本一地価の高い学校」と言われることもあるという[1]。大妻コタカは「自分自身に恥じ入るような行為をするな」と説いており、それが同校の校訓である「恥を知れ」に結びついている[1]。

沿革
1908年 - 前身となる家塾が開設
1919年 - 大妻実科高等女学校として設立
1921年 - 大妻高等女学校に改組
1929年 - 財団法人大妻学院となる。
1947年 - 学制改革により大妻中学校を設立
1948年 - 学制改革により大妻高等学校を設立
1951年 - 財団法人大妻学院を学校法人大妻学院に組織変更
1965年 - 中学・高校 校舎増築完成
1980年 - 芸術棟 増築完成
1990年 - 高校募集停止 6年完全一貫に
2004年 - 新校舎完成
2005年 - 新体育館完成
2008年 - 大妻学院100周年

クラブ活動

中学クラブ
美術部
英会話部
演劇部
茶道部
筝曲部
理化部
書道部
音楽部
マンドリン部
吹奏楽部
アニメ部
手芸部
園芸部
文芸部
バスケットボール部
卓球部
ダンス部
テニス部
体操部
剣道部
バトントワリング部
バレー部

高校クラブ
理化部
英会話部
演劇部
茶道部
書道部 全国区の部活
マンドリン部  全国区の部活
吹奏楽部
日本舞踊部
コーラス部
調理研究部
軽音楽部
華道部
漫画部
美術部
写真部
箏曲部
JRC部
テニス部
体操部
剣道部
バトントワリング部 全国区の部活
バレーボール部
卓球部
ワンダーフォーゲル部
陸上部
ダンス部
バスケットボール部
ミュージカル同好会
映画同好会
文芸同好会
コンピューター同好会
天文同好会

交通
東京メトロ半蔵門線半蔵門駅 5番出口より徒歩5分
JR中央・総武線・都営地下鉄新宿線・東京メトロ有楽町線・南北線 市ヶ谷駅より徒歩10分
東京メトロ東西線九段下駅より徒歩12分
都バス九段三丁目より徒歩5分 (高田馬場-系統)

制服
夏は白、冬は紺のオーソドックスなセーラー服となっている。リボン(スカーフ)以外は中高共通。中学校ではスカーフ結ばずに垂らすスタイル、高校ではスカーフをリボンのように結ぶスタイルとなっている。スカートは紺色で、前ひだである。[1]

著名な出身者
安芸秀子 - 女優。1909年生まれ。
三浦光子 - 女優。1917年生まれ。
水島光代 - 女優。1921年生まれ。
根岸明美 - 女優。1934年生まれ。中退。
西舘代志子 - 評論家。1940年生まれ。
炎加世子 - 女優。1941年生まれ。
藤由紀子 - 女優。1942年生まれ。
工藤美代子 - ノンフィクション作家。1950年生まれ。
保坂知寿 - 女優。1962年生まれ。平成19年まで劇団四季所属。四季の看板女優として活躍。
永井美奈子 - 元日本テレビアナウンサー。1965年生まれ。
温井和佳奈 - 起業家。1967年生まれ。
西山繭子 - 女優。1978年生まれ。
神田愛花 - 元NHKアナウンサー。1980年生まれ。
田中みな実 - 元TBSアナウンサー。1986年生まれ。
綾月せり - 宝塚歌劇団月組男役。
森永みるく - 漫画家。




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