概要
1938年に東京府立第十一中学校として開校。江北という校名は、東京下町を貫く隅田川や荒川などの川(江という字は、中国語で大きな川を意味する)の北にある学校という事から名付けられたものであり、足立区西部にある江北という町名とは無関係である。(実際に足立区江北にある高校は足立西)。東京府の東北部における旧制中学として地域の期待は大きく、また常磐線(千代田線)綾瀬駅は江北中学の陳情によって1943年に開設されている。戦時下にあっても他校で廃止された英語授業をやめず、また戦後、度重なる火災により創立時代の木造校舎の大半を失ったが、その都度、授業は休んでいない。
1950~60年代は第五学区で上野に次ぐ位置にあり、連年数十名を早慶・国立大学へ輩出していた。学校群制度時は52群の上野・白鴎に次ぐ進学校であったが、その後は進学実績が低迷した。現在は7時間授業の導入、教員公募制の実施、2006年から都の重点支援校指定、2007年から駿台予備学校と提携してオンデマンド駿台サテネットシステムが導入されるなど、進学実績上昇のために改革が進んでいる。2008年からは新入生合宿、勉強合宿、土曜授業の復活などが新たに行われた。これらの取組が評価されたこともあり、2010年度より進学指導推進校に指定されている。
沿革
1938年1月22日 - 東京府立第十一中学校として東京市赤坂区に開校。
1940年4月1日 - 現在地に移転。
1941年4月1日 - 東京府立江北中学校と改称。
1943年4月1日 - 最寄駅である常磐線綾瀬駅が開業。
1943年7月1日 - 都制施行により東京都立江北中学校となる。
1948年4月1日 - 学制改革により東京都立第十一新制高等学校となる。
1948年4月20日 - 定時制課程を本校と蒲原分校に併設。
1950年1月28日 - 東京都立江北高等学校と改称。
1950年4月1日 ― 実質的な男女共学開始。
1951年 - 蒲原分校廃止。
1967年 - 学校群制度導入、旧第五学区内で足立と53群を組む。
1982年 - グループ合同選抜制度導入、足立・淵江・足立西・足立東・青井・足立新田の各校と52グループを組む。
1994年 - 現在の単独選抜制度導入。
2003年4月1日 - 2学期制開始。
2006年 - 都の重点支援校に指定。
2008年4月1日 - 3学期制に復帰。
2010年 - 進学指導推進校に指定。
部活動
1999年に全国大会に出場を果たし、その後も東京都予選で何度も上位に進出している軟式野球部や(硬式野球部はない)、多くの大会で賞を獲得し1998年・2005年には全国大会に出場している演劇部が近年では有名である。
運動部
柔道部
水泳部
剣道部
バドミントン部
陸上競技部
ラグビー部
軟式野球部
バレーボール部
サッカー部
バスケットボール部
卓球部
テニス部
ソフトテニス部
ソフトボール部
空手部
体操部
ダンス部
文化部
吹奏楽部
放送部
調理部
音楽部
茶道部
華道部
美術部
理化部(化学班・天文班・地学班)
ボランティア部
漫画研究部
演劇部
和太鼓部
生物部
音楽村
交通
JR東日本常磐線・東京メトロ千代田線:綾瀬駅
東武伊勢崎線:五反野駅
つくばエクスプレス:青井駅
また、つくばエクスプレスが高校の下を通っている。
著名な出身者
會田雄亮(陶芸家、東北芸術工科大学名誉教授)
石川弘義(社会学者、成城大学名誉教授)
磯田光一(評論家)
岸田健作(タレント)
北村和夫(俳優)
佐々木敦規(テレビディレクター)
鈴木健(元日本テレビアナウンサー)
田沼武能(写真家)
田村晃一(青山学院大学名誉教授)
出口裕弘(小説家・フランス文学者)
長尾立子(元参議院議員、元法務大臣)
中田康雄(カルビー相談役、元代表取締役社長)
原元美紀(フリーアナウンサー)
雛形あきこ(タレント・定時制中退)
深谷隆司(前衆議院議員、元通産大臣)
諸星大二郎(漫画家)
柳家小里ん(落語家)
山口俊夫(フランス法学者、東京大学名誉教授)
堀井新太(D-BOYS タレント)
小此木政夫(慶應義塾大学名誉教授)
若狭勝(元検事)
人気ブログランキングへ