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大妻嵐山中学校・高等学校

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概要
校訓「恥を知れ」は学祖・大妻コタカの教えによるもの。
建学の精神「Arts for Mankind 学芸を修めて人類のために」

教育の特色
女子校では珍しく理数科目の授業時間が豊富。豊かな自然環境を生かし、中学3年間に渡り、国蝶オオムラサキをテーマにした総合学習がおこなわれている。
2006年にオーストラリア国立大学連合(マッコーリー大学・グリフィス大学・エディスコーワン大学・カーティン工科大学・ディーキン大学・サウスオーストラリア大学・フリンダース大学・アデレード大学)との推薦入学指定校に登録されるなど、海外進学への道も選択できる。
中学開校以来、これまでの大妻女子大学中心の進路指導から、他大学への進路指導に大きく方向転換。今後5年計画で国立大学10名以上/早慶上智レベル30名以上/医薬系20名以上合格の具体的目標を掲げ、生徒育成プランをスタートさせている。
ソーラーパネルを設置する。

沿革
1967年(昭和42年) - 嵐山女子高等学校開校
1972年(昭和47年) - 校名を大妻女子大学嵐山女子高等学校と改称
1995年(平成 7年) - 校名を大妻嵐山高等学校と改称
2003年(平成15年) - 大妻嵐山中学校開校
2007年(平成19年) - 大妻嵐山中学校理数アドバンスクラスス開始

交通
東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩15分。ただし近接駅よりスクールバス運行(熊谷駅/北本駅/深谷駅/武蔵嵐山駅/つきのわ駅の4コース)



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三鷹市立第六中学校

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特色
2008年より三鷹市立第一小学校、三鷹市立北野小学校と共に三鷹市立第6中学区小中一貫校を開校予定である。

所在地
東京都三鷹市新川2丁目12番地17号

出身著名人
蝶野正洋 - プロレスラー
田辺修斗 - 俳優
矢野謙次 - プロ野球選手

交通アクセス
JR東日本中央線吉祥寺駅下車
小田急バス 吉02 新川宿 徒歩2分
小田急バス 仙01 六中前 徒歩2分



ビジネスパートナー・サポーター募集

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練馬区立関中学校

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概要
生徒数532人。(2008年4月11日時点)3年5クラス、計15クラス。学級ごとの平均人数は35人前後。
教育目標 ・心を豊かに 体を健やかに ・行動は自主的に 責任を果たす ・考える力を伸ばし 友人と助け合う
校歌 作詞:中山 知子 作曲:三善 晃 1・2番構成

主な行事
4月 1学期始業式 入学式 新入生歓迎会 離任式
5月 開校記念日 前期生徒総会 運動会
6月 3年修学旅行 1年校外学習 中間考査
7月 2年オーケストラ観賞教室・職場体験
8月 1年臨海学校 3年海外派遣
9月 期末考査 生徒会選挙
10月 区連合音楽会/陸上大会 1学期終業式 2学期始業式 合唱コンクール
11月 後期生徒総会 マラソン大会 中間考査 区中駅伝 2年校外学習
12月
1月 校内書き初め展 1・2年学力調査 2年スキー教室 区書き初め展・作品展 区ダンス発表会
2月 期末考査
3月 学習発表会 卒業証書授与式 終了式

部活動
運動部
剣道部(男女)、サッカー部(男)、水泳部(男女)、ソフトテニス部(男女)、テニス部(男女)、バスケット部(男女)、バレー部(女)、陸上部(男女)
文化部(五十音順)

ウィンドアンサンブル部(男女)、英語部(男女)、演劇部(男女)、ギター部(男女)、自然科学部(男女)、数楽部(男女)、書道部(男女)、ボランティア部(男女)

学校の特徴
LL教室を設置している。
普通教室を含め全教室に冷暖房機がある。
練馬区内の中学校で唯一プールを開放している。
校庭の西側の一部に芝生が植えられている。

制服
男子通常:ブレザー・ライトグレーのズボン・ベルト(色の規制有)・ネクタイ・長袖Yシャツ・白のスクールソックス
男子夏服:半袖/長袖Yシャツ(第1ボタンまで外してよい)・夏用ズボン・ベルト(色の規制有)・白のスクールソックス
女子通常:ブレザー・同色12本プリーツのスカート・リボンタイ・白のブラウス・白のスクールソックス(ベスト着用可)
女子夏服:白のブラウス・夏用スカート・白のスクールソックス









さいたま市立宮原中学校

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沿革
1947年(昭和22年) - 4月1日大宮市立第五中学校設置認可。5月3日開校式、本校は宮原小、分校は大砂土東小を借りる。
1949年(昭和24年) - 大宮市立宮原中学校へ改称
1950年(昭和25年) - 校舎落成。
1951年(昭和26年) - 校庭植樹。
1957年(昭和32年) - 校庭南部敷地1,000坪を返地。
1961年(昭和36年) - 女子生徒の標準服制定。
1962年(昭和37年) - 校歌制定。開校15周年記念式典。2階建4教室の校舎増築。
1964年(昭和39年) - 技術科教室落成。
1966年(昭和41年) - 体育館新築。
1967年(昭和42年) - 調節式鉄棒・砂場新設。花壇砂利止めの為のブロック工事。
1968年(昭和43年) - 技術科教室移転。
1969年(昭和44年) - 家庭科教室新築。
1970年(昭和45年) - 開校20周年記念式典。
1973年(昭和48年) - 鉄筋4階9教室増築。
1974年(昭和49年) - 体育館用物置、便所新設。開校25周年記念式典。
1977年(昭和52年) - 鉄筋11教室の北校舎(第二期)竣工。
1979年(昭和54年) - プール完成。
1980年(昭和55年) - 鉄筋4階13教室の北校舎増改築(第三期)竣工。
1981年(昭和56年) - 鉄筋4階4教室 管理室の南校舎(第四期)竣工。創立30周年記念歌碑建立。
1982年(昭和57年) - 玄関前造園完成。
1985年(昭和60年) - 鉄筋2階4教室・配膳室の新校舎竣工。
1989年(平成元年) - 新体育館完成。創立40周年・体育館落成記念式典。
1992年(平成4年) - コンピュータ室完成。
1993年(平成5年) - 武道場完成。
1994年(平成6年) - 中庭浸水アスファルト完成。
1996年(平成8年) - 同校出身の宇宙飛行士若田光一の宇宙飛行記念モニュメント建立。
1998年(平成10年) - 創立50周年記念式典。
1999年(平成11年) - 25年前のタイムカプセルの開扉式。
2001年(平成13年) - 若田光一が宇宙からの帰還報告に来校。三市合併でさいたま市立宮原中学校に改称。
2004年(平成16年) - 自校給食棟完成。

交通アクセス

JR高崎線宮原駅から徒歩15分または東武バス「上尾車庫行き」で「宮原4丁目」停留所下車。









三鷹市立第一中学校

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沿革
1947年
4月1日:三鷹町立三鷹中学校(新制中学校)設立認可される
5月13日:三鷹町立三鷹第一小学校で授業を開始する
1948年4月1日:現在地に移る
1950年11月3日:市制施行により三鷹市立三鷹中学校になる
1953年4月1日:三鷹市立第二中学校・第三中学校設置とともに三鷹市立第一中学校と校名変更する
1963年9月1日:プール完成
1970年7月23日:新プール完成(旧プールは三鷹市立南浦小学校へ移管)
1997年10月25日:創立50周年
2008年4月1日:三鷹市立南浦小学校、三鷹市立第六小学校、三鷹市立第四小学校とともに小・中一貫校として、連雀学園三鷹市立第一中学校になる

所在地
東京都三鷹市下連雀九丁目10番1号

特徴
すべての学級の教室にエアコンが完備されている。
通常学級に加え、身体障害者等のI組が設置されている。
体育大会、合唱コンクール、球技大会、百人一首大会が行事として行われる。

その他
2009年度入試において、東京都立西高等学校に12名が合格した。
公立中学の中でも進学率が高い。
部活動は、運動部が11部、文化部が4部ある。
 運動部は陸上部、サッカー部、野球部、バレー部(男子、女子)、テニス部(男子、女子)、バドミントン部、バスケ部(男子、女子)、卓球部。  文化部は吹奏楽部、美術部、写真部、演劇部が存在する。
それぞれのクラスごとにクラスカラーというものが有り、行事などによく使われる。
 A組=青 B組=緑 C組=黄色 D組=桃色 E組=白 F組=赤 G組=紫 I組=橙  
クラス数は例年一学年が6学級となっているが、2013年に一年生の学級が7学級になったため今までのABCDEF組に加え、G組が追加された。そのため体育大会のそれぞれのクラスカラーで分けた対抗リレーや、色別の表彰はすべてなくなってしまった。

交通アクセス
JR東日本中央線三鷹駅から小田急バスで三鷹警察署前停留所下車







国際学院中学校・高等学校

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概観

国際学院中学校・高等学校は、1988年に国際学院伊奈高等専修学校として設置された。高等専修学校(専修学校高等課程)は修業年限3年の全日制高等課程を持ち、食品流通工学科、国際情報経営科、社会体育科の各学科を有していた。

1998年に高等学校を設立し、2013年には中学校が開校し中高一貫校となった。併設型中高一貫校(別クラス型)であり、中学校から入学した内部進学の生徒が高等学校に進学する際、高等学校から入学してくる外部進学の生徒とクラス編成を別とし、内進生は高校卒業まで外進生とは別のクラスで授業を受ける。

ユネスコ・スクールに指定されており、国際連合教育科学文化機関の理念を達成するため持続発展教育(ESD)に取り組んでいる。

建学の精神
誠実・研鑽・慈愛・信頼・和睦

教育方針
1.人間尊重の精神を養い、自他を愛し、礼儀と節度、規律と責任を重んずる人間の育成。
2.個性を伸長させ、基礎的、専門的な学力を養い、創造力豊かな人間の育成。
3.善意と協力の精神を養い、健康で活力に満ちた人間の育成。
4.21世紀知識基盤社会、国際社会に通用する人格の形成と学習力の育成。

沿革

国際学院中学校・高等学校は、1988年に国際学院伊奈高等専修学校として設置された。高等専修学校は修業年限3年の全日制高等課程を持ち、食品流通工学科、国際情報経営科、社会体育科の各学科を有していた。1998年に高等学校を設立し、全日制課程総合学科を設置、その4年後に通信制課程を設置した。2010年に埼玉県内の高等学校として初めてユネスコ・スクールに認定された。2013年には中学校が開校し中高一貫校となり、開校に伴い高等学校に普通科の課程が設置される。

年表
1988年3月11日 - 埼玉県知事から国際学院伊奈高等専修学校の設置について学校教育法第82条の8第1項の規定により許可される。
1988年4月1日 - 国際学院伊奈高等専修学校が開校する。
1989年7月21日 - 労働大臣に無料職業紹介事業開始の旨を届け出て受理される。
1989年12月15日 - 文部大臣から1989年度より3年間の「専修学校における職業教育の高度化に関する開発・研究」の委託を受ける。
1990年3月26日 - 厚生大臣から食品流通工学科(調理師課程)に対し調理師養成施設としての指定を受ける。
1990年3月31日 - 埼玉県教育委員会委員長から学校教育法第45条2の規定による技能教育のための施設として指定される。
1990年10月15日 - 文部大臣から大学入学資格付与校の指定(文部省告示第111号)を受ける。
1991年11月8日 - 埼玉県知事から国際英語科の設置が認可される。
1992年10月19日 - 文部省から1991年度より3年間の「専修学校における職業教育の高度化に関する開発・研究」の委託を受ける。
1998年3月13日 - 埼玉県知事から国際学院高等学校の設置について学校教育法第4条の規定により認可される。
1998年4月1日 国際学院高等学校が開校する。
1999年4月14日 - フランス国立グルノーブル調理技術専門学校と姉妹校提携を行う。
2002年4月1日 国際学院高等学校に通信制課程を設置する。
2005年3月28日 - 文部科学省から国際学院高等学校の「問題発見・解決能力を育成する課題研究」が「平成16年度教育改革推進モデル事業」に指定される。
2005年10月14日 - カナダ・ブリティッシュコロンビア州アーチビショップカーニー中等学校と姉妹提携を行う。
2006年12月1日 - 文部科学省から、国際学院高等学校の「海外研究」が「平成18年度教育改革推進モデル事業」に指定される。
2008年10月15日 - 文部科学省から、国際学院高等学校の「語学研修」が「平成20年度教育改革推進モデル事業」に指定される。
2010年7月9日 - 埼玉県内の高等学校として初めてユネスコ・スクールに加盟が認められる。
2012年3月29日 - 国際学院中学校の設置計画、普通科課程の設置計画について承認申請行う。
2013年2月5日 - 埼玉県私立学校審議会により国際学院中学校設置認可及び国際学院高等学校普通科設置認可が答申される。
2013年4月1日 - 国際学院中学校が開校する。
2013年11月12日 - 埼玉県私立学校審議会により国際学院高等学校の学科の設置計画が承認される[5]。

アクセス
埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)志久駅より徒歩12分
JR高崎線上尾駅よりスクールバス10分
JR宇都宮線蓮田駅よりスクールバス15分

設置形態
中学校
高等学校 全日制課程 普通科
総合学科

通信制課程


制服
冬服 男子:ブレザー、女子:ブレザー  
夏服 男子:ワイシャツ、女子:ブラウス

学校行事
4月 入学式、前期始業式、健康診断
5月 新入生宿泊研修、野外宿泊研修、前期生徒総会、前期中間考査
6月 体育祭、大学模擬授業
7月 期末考査、フランス料理講習会、夏季講習Ⅰ期、高校生世界へ羽ばたけ!育成塾
8月 夏季休業、進学合宿、夏季講習Ⅱ期、校外実習
9月 校内実力テスト、五峯祭、、終業式、テーブルマナー勉強会
10月 後期始業式、後期中間考査、結団式、海外研修旅行、語学研修旅行
11月 後期生徒会総会、芸術鑑賞
12月 後期中間考査Ⅱ、「産業社会と人間」意見発表会、球技大会、冬季休業、冬季講習
1月 調理コース生技術考査
2月 調理技術コンクール、卒業研究発表会
3月 卒業式、学年末考査、後期終業式、春季休業、春季講習

学園祭

学園祭は「五峯祭」と呼ばれ、毎年9月に2日間の日程で開催される。各団体による展示や模擬店、バザーなどが催される。

部活動

運動部
サッカー部 - 国際学院の強化指定部。2001年12月から元サッカー日本代表GK田口光久が総監督を務めていた。2006年に選手権埼玉大会3位、2011年インターハイ予選8強の実績あり。2012年度より元・大宮アルディージャユースコーチの酒井宏治監督が就任。2013年度からはJリーグ経験者の道本大三郎をGK新コーチに追加。サッカー強豪校を目指して体制を強化している。2013年5月にU-16が県S2リーグに昇格。2014年埼玉県高校選手権ベスト16の実績あり。2015年度よりU-18が県S2リーグに昇格決定。
射撃部 - 国際学院の強化指定部。2012年第67回国民体育大会BR女子準優勝。2012年JOCジュニアオリンピックカップBR女子優勝。2012年全日本社会人大会BR女子優勝。2012年国体関東ブロック兼全関東大会BR女子優勝。2012年全国大会個人戦BR女子準優勝。2012年東日本大会BR/BP女子優勝、AR女子準優勝。2012年関東大会団体戦BR女子準優勝、個人戦BR女子優勝。2012年全日本ジュニアBR大会個人戦女子優勝の実績あり。
陸上競技部 - 国際学院の強化指定部。2010年沖縄インターハイ出場(女子100m/女子400mH)。2011年埼玉県女子学校対抗3位。2011年北東北インターハイ5種目出場 女子400mH3位入賞の実績あり。
バレーボール部 - 国際学院の強化指定部。2012年ビーチバレーボール全国大会出場の実績あり。
硬式野球部
バスケットボール部
卓球部
バドミントン部
硬式テニス部
ソフトテニス部

文化部
JRC部
美術部
書道部
英語同好会
吹奏楽部
軽音楽同好会
パソコン部

併設校
国際学院埼玉短期大学
あおぞら保育園







法政大学中学高等学校

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概要
「確かな学力と豊かな人間力を育てること」、「自治の精神にあふれた規律ある学校」、「大学と連携し、地域とともに歩む学校をつくること」を目標として掲げている。スポーツ面においては高校野球やラグビーなどで実績がある。
2007年度に東京都武蔵野市吉祥寺東町から東京女子大学牟礼キャンパスの跡地へ移転し、同時に男女共学化した。名称は法政大学第一中・高等学校から法政大学中学高等学校と変更。
2006年度には文部科学省が指定する「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(Super English Language High School)」の指定校になった。生徒会が主催する学園祭「プラタナス祭」は雑誌にも掲載され、毎年1万人の人出を集める人気イベントである。

校是
「自主・自律」

教育目標
「学ぶ喜び」
「誠実・礼儀」
「キャリア・クリエーション」

沿革
1936年 - 法政中学校を旧東京府東京市麹町区富士見(現・法政大学市ヶ谷キャンパス内)に創立。
1946年 - 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の校地を購入し、武蔵野市吉祥寺東町に移転。
1947年 - 旧制法政中学校に新学制による中学校を併設。
1948年 - 新学制による法政大学第一中・高等学校を開設。
1971年 - 高等学校、服装自由化。制服(これまでは学生服)着用の義務がなくなる。
1986年 - 創立50周年記念会館落成。
1992年 - 特別教室棟落成(コンピュータ室、LL教室、美術実習室、理科講義室)。
2007年 - 三鷹市牟礼に移転し、中・高同時に男女共学化を実施。ブレザーの制服が着用義務化になり、校名を法政大学第一中・高等学校から法政大学中学高等学校に改称。

法政大学への推薦
系列校の法政大学には、高校での成績が一定基準に達していれば進学できる。各学部への希望は、高校3年間の総合成績等の成績上位順に決定される。2009年度(2010年3月卒業)は卒業生の85.6%が内部進学した。
他大学を受験する場合、2006年度の高3生までは国公立大学以外を受験すると、内部推薦入学の権利を放棄しなければならなかったが、2007年度の高3生からは、法政大学への内部推薦入学の権利をもったまま全ての大学を受験することができるようになった。
他大学への進学者は少ない。内部生用のカリキュラムでしか行っていないため、他大学受験指導は行っておらず、一般受験をするには厳しい。国公立大学に進学する者は毎年若干名である。

交通
京王井の頭線井の頭公園駅または三鷹台駅からそれぞれ徒歩10~15分。
JR吉祥寺駅から徒歩20分~25分。

不祥事
2010年1月、高校の修学旅行先の北海道で、男性教諭2人が規則を守らなかった高校2年の男子生徒9人に正座をさせるなどの指導をし、うち3人に対して暴力行為を加え、2人に全治2~3週間の怪我を負わせた。学校法人法政大学は問題を受け、教諭2人を懲戒解雇、監督責任として校長ら5人を減給処分とし、生徒指導や学校運営について見直すことになった。

地域との関わり
吉祥寺駅から法政大学第一中・高等学校までの通学路でもあった、五日市街道と女子大通りとを結ぶ市道第5号線(道路延長約570m)は、「法政通り」と呼ばれ、地域に定着していた。現在は「美大通り」に名称変更。
武蔵野市吉祥寺東町の旧校地は、長谷工コーポレーションに売却し、マンション用地となった。
東京都練馬区立野町にあった大グラウンドは、三井不動産に売却し、住宅用地となった。
東京都三鷹市牟礼の現校地でエクステンションカレッジを開講している。

井の頭キャンパス 
東京女子大学の旧・牟礼キャンパス=三鷹市牟礼(短期大学→現代文化学部)を、2005年に学校法人法政大学が学校法人東京女子大学から購入し、建物を全部新築して、吉祥寺にあった法政大学第一中・高等学校のキャンパスとして2007年に移転開校した。当キャンパスは1951年から東京神学大学、1966年から東京女子大学がキャンパスとして利用してきた歴史があるが、石積みの正門門柱は東京神学大学時代から東京女子大学時代を経て今日まで受け継がれて来ているものである。

校地
面積 約27,000平米
法政大学付属中・高等学校周辺地区 地区計画(都市計画法上の地区計画)
校舎[編集]
設計 山下設計
施工 清水建設・東急建設工事共同企業体
竣工 2007年8月
構造・規模 RC造、地下1階-地上4階
延床面積 約18,000平米

著名な卒業生
文化・芸能
石垣佑磨 - 俳優
勝新太郎 - 俳優(旧制中学中退)
佐々木勝彦 - 俳優
弓削智久 - 俳優
菊入寛生 - 歌手
ジャッキー吉川 - ミュージシャン
杉本真人 - シンガーソングライター
深野義和 - ミュージシャン
SALLY - ミュージシャン
島和彦 - 歌手
内澤祐豊-タレント
犬童一心 - 映画監督
竹下陽平 - フジテレビアナウンサー
大村正樹 - フリーアナウンサー
せんだみつお - タレント
河内真 - 高知放送アナウンサー
杉山洋介 - ミュージシャン
加藤キーチ - ミュージシャン
淡谷三治 - ミュージシャン
深野健司 - ラジオ福島アナウンサー
香川純也 - テレビ山口アナウンサー
野村明弘 - フリーアナウンサー・スポーツコメンテイター
竹野康治郎 - 朝日放送元アナウンサー
小林利雄 - プロデューサー
菅原知弘 - テレビ朝日アナウンサー
鈴木耕一 - 撮影技師

スポーツ
中野健一 - 元プロ野球選手・元野球解説者
山崎正之 - 元プロ野球選手
矢島勝彦- 元プロ野球選手
田淵幸一 - 元プロ野球選手・北京五輪 野球日本代表ヘッドコーチ兼打撃コーチ
田中善則 - 元社会人野球監督(シダックス)、社会人野球ベストナイン
沢村忠 - キックボクサー
石井徳昌 - 元法政大学ラグビー部監督
武村秀夫 - 元法政大学ラグビー部監督・法政大学生命科学部教授
渡辺哲也 - 元ラグビー日本代表選手

政財界
吉田芳朝 - 埼玉県議会議員
村田紀敏 - セブン&アイ·ホールディングス代表取締役社長兼COO
谷口好市 - ラオックス社長








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練馬区立田柄中学校

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目指す学校像
「基礎基本」をしっかり教え、子供の「力」を伸ばす学校
生徒が互いに相手の気持ちを考えることのできる学校
生徒に実践的な活動の場を与え、地域と協働して教育活動のできる学校
地域・保護者から信頼され、誰もが誇りに思う学校

部活動
運動部陸上競技部
サッカー部
男子硬式テニス部
女子ソフトテニス部
バスケットボール部(男・女)
野球部
女子バレーボール部
卓球部
剣道部
文化部吹奏楽部
美術部
書道部
科学部
フラワーアレンジメント同好会

アクセス
交通機関
都営地下鉄大江戸線光が丘駅徒歩15分
都営地下鉄大江戸線光が丘駅より国際興業バス練馬区役所行田柄中学校前下車
東京メトロ有楽町線平和台駅徒歩15分
東京メトロ有楽町線平和台駅より国際興業バス光が丘駅行田柄中学校前下車

有名な出身者
阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )東北楽天ゴールデンイーグルス
寺沢功一(てらさわこういち、1963年7月5日- ) ミュージシャン


さいたま市立植竹中学校

早稲田大学高等学院・中学部

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概要

早稲田大学の附属校であり、組織内では大学直属の学校として扱われる。中等部の創設に至るまで、「高大一貫教育」を掲げてきた。原則として卒業生全員が早大の各学部へ進学できる。

1学年の定員が500人、全学年で1,500人と、高校としてはマンモス校である。1学級は約40人であり、A - L組までの12クラスが存在する。 1学年600人であったが、中学部の設立に伴い高等学院の定員は削減されたためである。

校風は極めて自由である。制服として学生服が存在しているが、高等部のみ私服通学との選択制で、日々の学生生活では制服着用者と私服着用者(生徒全体の約10 - 20%)とが混在している。下駄、サンダル、半ズボンでの通学が禁止されている他に校則はない。アルバイトも届出なしに可能である。

一条校でありながら、早稲田大学本庄高等学院と共に、「学校」ではなく「学院」を称する珍しい機関。

組織内での位置

学校法人早稲田大学が設置する直属の附属高校は、本校と埼玉県本庄市にある早稲田大学本庄高等学院のみである。また直属の附属中学校としては、高等学院中学部が初めて設置された。

なお早稲田中学校・高等学校・早稲田実業学校・早稲田摂陵中学校・高等学校・早稲田佐賀中学校・高等学校・早稲田渋谷シンガポール校は、学校法人の異なる「系属校」の位置付けであり、本高等学院と直接的な関係はない。

旧制時代からの伝統を受け継ぐ大学直属の高校として、学院は大学学部と同等の扱いを組織内で受ける。その特徴として、生徒証は早稲田大学の学生証とほぼ同じものであり、早稲田大学図書館での入館証・利用者カードとして用いることができるほか、校舎敷地内への関係者以外の者の立ち入りも大学のキャンパス同様に自由であり、散歩や通り抜け、犬の散歩などをする者も多々見られる。また、建物のナンバーは大学のキャンパスの一部という位置付けになっており、大学のキャンパスとの通し番号が使われている(学院は70番台が割り当てられている)。

中学部

早稲田大学は、初の直系附属中学校となる高等学院中学部を、2010年度より新設する事を2008年7月19日に正式発表した。校舎の着工は同年8月。生徒数は1学年4クラスの120人。中学校入試の始まる2010年から、高等部募集枠を480人に、2010年度入学の中学部生が高校1年になる2013年度からは、さらに360人に減らし、中高全体で1800人を保つとされる。

高等学院と同中学部は中高一貫校の関係にあるが、一部のクラブ(特に運動系)は、「練習メニューが中学生と高校生では違いすぎるため同一の組織にするメリットが無い」との理由から、中学部生を受け入れない方針を表明している。また、学院祭の期間中には中学部は校外活動を行うなど、高等部と中学部では行事を共有することは基本的にない。これは根強い中学部設立反対意見に配慮したものと説明されている。

中学部設立に関しては内外からの反対が強く、設立決定前の校内アンケートでは反対がほぼ100%を占め、反対署名などの運動も行われた。教師・OBからの反対意見も強く出ていたが、大学側に押し切られる形で設立が決定となった。設立後の2010年度に発行された『学院雑誌』第57号でのアンケートでは「学院生にあってはならないものは?」という質問に対して「中等部」という回答が27%を占める結果となった なお、男女共学にするべきかとの論議も1990年代に存在していたが、そのためには教員の男女比率も半々にする必要があること、トイレなど学校施設の整備が必要という点などから、2010年の時点でも実現には至っていないものの、中学部の設立・中学校校舎建築・高校校舎立て替えが決定したため、共学化の計画は事実上無くなったとされる。本庄高等学院については2007年4月より共学化した。

校歌

高等学院は、その沿革から大学の学部と同等の扱いを受けるため、校歌は大学と同様に「都の西北」である。また、応援歌も大学と同様に「紺碧の空」である。

ウィキソースに都の西北の原文があります。

校地の由来

練馬区上石神井の現校地は、1477年(文明9年)に太田道灌が石神井城攻めの際に築いた陣城・愛宕山塁の跡に当たる。

教育

目的

早稲田大学の一員として、早稲田大学建学の精神に基づく。

特色

旧制以来の伝統として第二外国語が必修であり、ドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語のいずれかを1年次より履修する。中学部の生徒は3年次よりドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語、を3ヶ月ずつ学習し、それらを参考に高等学院での第2外国語を選択する。2005年度より開始された3年次の総合的な学習の時間では、1年次には班に分かれてのプレゼン発表、その後個人でのプレゼン発表、2年次にディベート、3年次には2年次に登録したテーマについて12000字程度の卒業論文の執筆が課されることとなった。そしてこの単位は学部進学要件となっている。

2006年度から、文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。

専任教員は、ほぼ全員が修士課程以上の課程を修了しており、特に理科系においては博士号を持つ者も数多い。また、ほとんどの教員は大学でも講義をもつ、研究者である。このことは、本校が大学受験のことをまったく考えなくてよいという事情とともに、授業内容に大きな影響を与えている。すなわち、文部科学省の定める一般的なカリキュラムにとらわれることなく、大学のように教員の研究分野に沿った、より発展的・専門的な講義を、教員が展開する場合が多い。この傾向は特に社会科学系の科目に強く、教科書にまったく記述がないトピックを扱うこともままある。他方、理系科目ではコンピュータを活用するもの、大学の範囲を先取りするものなど、非常に高度かつ発展的な授業が行われている。

入学時に第二外国語科目および芸術科目を選択するが、その選択によってクラス分けが行われ、入学時から卒業までクラス替えが行われないことも特色である。そのため「学院”X”クラス同窓」としての交流は終生に及ぶ。

入学と同時に早稲田大学への進学が原則として保証されるが、期末試験・学年末試験で然るべき成績であること、出席日数を満たすことが条件成績は各科目100点満点で表され、50点未満が赤点となり、6単位分以上の赤点を取った場合と、一年間の総合平均が60点を下回った場合留年となる(赤点が5単位分の場合は総合平均62点未満が留年対象。これらは、学習指導要領の改訂や、授業時間数の変更などにより、時代により基準は変更されている)。50点以下が赤点という比較的高い基準であるため、毎年一学年につき20人前後が留年となる。この数は日本でも有数である。 始業は朝8時40分だが、かつては週に2回、1年生と2年生は10時40分始業の日が存在した。しかし、2013年度からの新カリキュラムへの移行により、2013年度入学生より登校時間は一律8時40分となった。 1コマ50分で、終業は15時00分。朝、および帰りのホームルームは行われず、各学年週1回、授業1コマを使ってロングホームルームが行われるが、実際にはホームルームは先生が30分程度で終了することもしばしばである。

大隈重信が「男は掃除をせずに勉強しろ」と言ったため、掃除もない。校内の掃除は専属の業者が毎日行っている。校舎はまだ建て替えてまもないこともあり、トイレ等は最新の設備が導入されておりたいへん清潔である。

旧制早稲田大学早稲田高等学院

沿革

略歴

早稲田大学は、前身の東京専門学校の時代から、本科の前段階に位置する予科を設けていたが、最初に置かれた予科は、本科入学を希望する者への1年の予備教育を行った(1883年 - 1886年)。2年後新規に設置された予科は高等小学校卒業者を対象に募集したが、折悪く大隈重信が爆弾テロに遭うなどの諸事情で学校の運営に支障が出たことで、学校再建策の一環で廃止されている(1888年 - 1891年)。中等学校卒業者を対象にした高等予科の誕生(1899年)をもって、現在の高等学院の源流を求めることができよう。1908年には理工科(現・理工学部)設置と共に、理科の高等予科も開かれた。

1920年に、早稲田大学が大学令による大学に昇格するのに伴い、高等予科も大学予科としての内容の充実が図られ、早稲田大学早稲田高等学院と改められた[4]。1922年より中学校4年修了者対象の第一高等学院・中学校卒業者対象の第二高等学院の2校体制を学制改革まで維持した。戦前期、早稲田大学の学部に入学するには、中等教育終了後、第一・第二いずれかの高等学院で予備教育を受ける必要があった[5]。

旧制から新制に転換する際には、旧制高等学校のように新制大学の教養部や各学部に再編されるのではなく、従来の実績を踏まえながら、大学の中核となる学生を育成する附属の新制高等学校として生まれ変わり、現在に続いている。

年表
高等予科時代1899年(明治32年) - 東京専門学校、英語政治科および文学部文学科・史学科に高等予科を設置。
1900年(明治33年) - 高等予科を一旦廃止し、改めて大学部の予備門に位置付けて新しく設置する(修業年限1年半)。
1903年(明治36年) - 第一(政治経済学科)、第二(法学科)、第三(文学科および高等師範部)、第四(商科)高等予科に分けられる。
1907年(明治40年) - 高等師範部のための第五高等予科が、第三高等予科より分離して発足。
1908年(明治41年) - 第五高等予科、学内の制度変更により、新設された理工科併置となる。
1916年(大正5年) - 「第○」高等予科の名称を、高等予科「第○部」に改める。
1917年(大正6年) - 修業年限を2年に延長。
1918年(大正7年) - この年より中学校卒業者に入学試験を課す。
旧制高等学院(大学予科)時代1920年(大正9年) - 早稲田大学高等予科を早稲田大学附属早稲田高等学院に改め、当時の東京府東京市牛込区戸山町(現在の早稲田大学戸山キャンパス)に開校。
1921年(大正10年) - 高等学院を第一部(3年制・文科と理科)・第二部(2年制・文科のみ)の2部制にする。
1922年(大正11年) - 第一部・第二部をそれぞれ第一早稲田高等学院・第二早稲田高等学院に改組。第二高等学院は大学構内に置かれた。

年表
新制高等学院時代1949年(昭和24年) - 学校教育法に基づく新制高等学校として、早稲田大学附属早稲田高等学院が発足。
1950年(昭和25年) - 現校名に改称。
1956年(昭和31年) - 現校地である練馬区上石神井の地に移転、現在に至る。同地は旧智山学園から大学が1954年に購入した。
2010年(平成22年) - 中学部を新設開校。
2014年(平成26年)- 第二期改築工事が終了し、講堂および体育施設棟が完成。

学校生活

生徒の活動
部活動
米式蹴球部・漕艇(ボート)部をはじめとして、ラグビー部・雄弁部・グリークラブ・ヨット部・軟式野球部・弓道部は全国レベルである。

米式蹴球部は全国大会優勝5回準優勝4回を誇る名門である。1990年代中盤には停滞期もあったが、近年では全国大会の常連となっている。2010年はクリスマスボウルで関西学院高等部を17-6で下し24年ぶり2度目の全国優勝を成し遂げている。2011年もまた、関東大会を制しクリスマスボウルへ出場し、大阪産業大学附属高校との熱戦を繰り広げ、10-10の両校優勝を果たし、二年連続日本一を成し遂げている。2012年も一年を通し無敗で、春秋と関東を制してクリスマスボウルへ出場した。クリスマスボウルでは関西学院高等部に28-17で勝利し、優勝、日本一。2013年のクリスマスボウルでは立命館宇治高校に勝利し、関東勢では史上初となる全国4連覇を達成した。2010年、2011年、2012年の3年間では、公式戦、練習試合において一度も負けること無く3連覇を達成した。

弓道部は、2006年インターハイ個人競技準優勝および8位入賞、2009年東京都新人大会個人優勝(全国選抜大会出場)および団体準優勝を果たした。2011年にも団体でのインターハイ出場。2013年には都秋季大会準優勝、関東個人選手権大会優勝。2014年には都個人大会優勝、都秋季大会準優勝および三位入賞(東日本大会出場)。同年11月には都新人大会で優勝し、三年ぶりの全国大会出場となった。東京都トップレベルの実力を有する。

漕艇部は1993年の全国選抜で舵手付きフォアで優勝、夏のインターハイでも3位入賞した(翌1994年にも全国選抜で4位になり、2006年に12年ぶりに全国選抜4位となった)。また、2007年に行われた秋田わか杉国体に12年ぶりに出場し入賞した。

ヨット部は2001年から2006年までの6年連続で国民体育大会東京都少年男子FJ級代表に選ばれている。

雄弁部は、競技ディベートを軸に活動している。激戦区である関東甲信越地区においては2006年夏季以降2年間不敗という戦績を残し、全国大会においては2009年に優勝し、2003年には準優勝、2002年や2007年にベスト4に入るなど目覚しい活躍を上げている。

グリークラブは2003年に全日本合唱コンクール全国大会で金賞を受賞している他、NHKに出演してNHK全国学校音楽コンクール課題曲の参考演奏をするなど、セミプロ的活動も行っている。

軟式野球部も全国に度々出場し、2012年の秋には関東の決勝で延長15回引き分け再試合という熱戦を繰り広げ、準優勝に輝いている。2013年には、関東大会準優勝・全国大会ベスト8、国体準優勝を果たした。
有志の活動生徒自身の手による課外活動も盛んであり、その代表例が、2000年に生徒有志によって発足した「環境プロジェクト」である。環境プロジェクトは、年2回、早稲田大学にて行われている「高校生環境フォーラム」の中心的な存在であるだけでなく、この夏には「高校生環境連盟」の発足を提案し、活動の幅を広げている。
年1回発行で、学校生活に関する特集やアンケート調査などが組まれる『学院雑誌』は約60年の歴史を有し、教師からは存在意義が疑問視されているものの、生徒らの手によって作成され続けている。
2005年、TBS系列で放映されたテレビ番組「学校へ行こう!MAX」での企画「文舞両道フリツケ甲子園(2005年9月6日O.A.)」においては、有志がダンスユニット「早稲6(ワセシックス)」を結成している。

行事

高等学院の主な行事は、「学院祭」・「体育祭」・「学・芸術交流祭」であり、修学旅行は存在しない(かつては実施されていたが、旅行先での学院生の振る舞いが悪かったため中止になった)。毎年10月に行われる「学院祭」こと、文化祭には約10,000 - 20,000人もの来場者が訪れる。そのため、全国でも有数の規模の文化祭であるといわれる。ただし中等部はこの期間中は校外活動を行う。これは根強い中等部設立反対意見に配慮したものと説明されている。体育祭の時期も、中等部は校外活動を行う。体育祭は、男子校ゆえに非常に熱くなるが、中には朝出席だけ取って帰る人や、教室でずっと遊んでいる者もいる。

期末試験後は終業式までおよそ1週間前後の休み、入試期間中にも約1週間の休みが与えられ、そして夏休みは7月半ばから9月第1週まで、など休みが多い。




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入間市立藤沢中学校

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沿革
1947年(昭和22年)4月1日 - 埼玉県入間郡藤沢村立藤沢中学校設置される。 4月21日 - 開校式(学級数3、生徒数72名)

1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併に伴い、校名を武蔵町立藤沢中学校と改称する。
1961年(昭和36年)11月9日 - 校歌を制定する。
1963年(昭和38年)10月15日 - 鉄筋防音校舎新築工事(第1期工事)着工する。
1965年(昭和40年)3月25日 - 新校舎(1、2期工事)落成し、授業を開始する。
1966年(昭和41年)9月13日 - 新校舎(1、2、3期工事)落成する。
1968年(昭和43年)4月5日 - 校訓(健康、勤勉、敬愛)を制定する。
1969年(昭和44年)2月16日 - 体育館完成する。
1973年(昭和48年)7月31日 - プール完成する。
1977年(昭和52年)3月25日 - 校舎増築完成(4階11教室)。
1978年(昭和53年)4月1日 - 向原中学校新設に伴う就学変更により、学級減となる。
1981年(昭和56年)7月13日 - 入間市学校給食センターによる完全給食開始。
1982年(昭和57年)3月11日 - 特別教室3階建6教室完成。
1984年(昭和59年)4月1日 - 上藤沢中学校新設に伴う就学変更により、学級減となる。
1988年(昭和63年)4月1日 - 東町中学校新設に伴う就学変更により、学級減となる。
1996年(平成8年)4月11日 - 開校記念日を6月5日に変更。 11月16日 - 創立50周年記念式典挙行。

2003年(平成15年)3月20日 - 新体育館竣工式挙行。

学校教育目標

平成24年度「知・徳・体 バランスのとれた生徒の育成」

平成25年度「自立と貢献」

平成26年度「自立と貢献」

生徒数・学級数

平成25年度:587人 平成26年度:586人

通常学級数:1学年5クラス、2学年5クラス、3学年5クラスの合計15クラス
あすか(特別支援)学級数:3クラス

あすか(特別支援)学級

入間市立藤沢中学校には、「あすか学級」という特別支援学級が存在する。
この学級では、通常学級での過程を受けるのが難しい人が、あすか学級にて特別の過程を受ける。
あすか学級は、障害を持つ人、体が特別に弱い人などが在籍する。
しかし、あすか学級生徒は明るく、花植えなどの土いじり、体育科では躍動している。
また、美術ではのびのびとした感性ですばらしい作品を仕上げている。
通常学級と交流する機会は、毎週金曜日の交流給食、体育祭、合唱祭などにある。


部活動

運動部
野球部
ソフトボール部
サッカー部
陸上部
女子バレーボール部
男子ソフトテニス部
女子ソフトテニス部
男子卓球部
男子バスケットボール部
女子バスケットボール部

文化部
家庭科部
吹奏楽部
パソコン部
美術部

著名な卒業生
川俣則幸(元サッカー選手、サッカー指導者)
門倉健(元プロ野球選手、元巨人)





練馬区立豊玉第二中学校

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教育目標
1.正しく判断し 行動できる人
2.健康で 実行力のある人
3.広い心で 思いやりのある人

施設
北校舎(4階建て)
南校舎(4階建て)
新館
体育館
25mプール

特徴
練馬区の中学校のうち、一番敷地が狭い
情緒障害学級(愛称:若草学級)を設けている
校章は近くで勾玉が発掘されたという伝説(事実ではない)にもとづいて、勾玉を意匠化したものになっている。

著名な出身者
つるの剛士




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武蔵中学校・高等学校

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概観

根津育英会武蔵学園が設置した旧制武蔵高等学校を前身とする私立中高一貫制男子校。都立高校全盛の頃より、筑波大附属駒場などと共に東京大学への高い合格率を誇る学校として知られ、開成・麻布と共に御三家の一角を占める。自由で高度な学問を追究する校風で、政界・財界・官界・学界に多くの卒業生を送り出している。また、学校名の正式名称は「武蔵高等学校 中学校」である。

教育目標

三理想という、事実上の校訓ないし校是があり、その内容は、
1.東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物
2.世界に雄飛するにたえる人物
3.自ら調べ自ら考える力ある人物

である。これは、開校初年度の入学式で一木喜徳郎が述べたものについて、1929年に表現上の変更をしたものである。実質的には山本の創案と思われ、彼が1920年から1年間行った欧米視察旅行の反省を踏まえたものであった。山本は1937年の創立15周年座談会で三理想の第1項、第2項について次のように述べている。

あれは私の洋行の結果ですが、将来世界の文明が二つ現れるだらうと云ふのが私の考へであつた。一つは東洋文明と西洋文明が東の方を廻つて、日本で東西文明が新しい実を結ぶだらう。今一つは東洋文化が太平洋を渡つて、アメリカで以て違つた実を結ぶだらうと考へて帰つて来たものです。その考へが第一節に入つて居るのです。殊にその頃は日本文化なんて云ふ考へは、不思議な話だけれども社会全体に於て今と較べると余程薄かつたものです。矢張りまだ文明と云へば西洋の文明と云ふやうな考へが、日本には満ちて居たものです。これをどうしても壊さなくちやいかんと云ふ頭があつたものです。それで東西文化と言つたのですけれども実は西は付たりで、東の方を拡げなければならぬと云ふことがあつたのです。それから世界に雄飛する人間を作ると云ふ意味は、日本の文化、東洋の文化を世界にもつと拡げなくてはいかん。さう云ふ人間を作る必要があると云ふ意味です
また、第3項は「従来の暗記中心の『注入主義』的な教育に対し、『自分の頭で考える』ことをすすめるもの」であり、「教授とは人生に必要な一切の知識を与えることではなく、『よく自ら考へ、自ら判断し、最も適当の方法を取って行く』ための力を養うことが肝要」との山本の考えを表しているという。

沿革

「武蔵高等学校 (旧制)」および「学校法人根津育英会武蔵学園#沿革」も参照

根津嘉一郎
1922年(大正11年)、第二次高等学校令に基づき七年制の旧制高等学校「武蔵高等学校」として創立されたのが始まり。創立者は根津財閥初代総帥の根津嘉一郎で、賛同した宮島清次郎、正田貞一郎らは理事となった。初代校長には一木喜徳郎、さらに評議員として北条時敬、平田東助、岡田良平、山川健次郎などを教育界から迎えた。官立の東京高等学校と並んで日本最初の七年制高校であり、日本で最初の私立高校でもあった。後に七年制高校としては府立高等学校も設立され、七年制高校は、当時の府立一中 - 一高 - 東大ラインに代わりうる新たなエリートラインとして台頭しつつある存在でもあったが、太平洋戦争に突入し人気が急落、道半ばとなってしまった。そのため、七年制高校の評価は定まっていない。1948年(昭和23年)に学校教育法に基き新制高校「武蔵高等学校」が発足、1949年(昭和24年)に新制中学「武蔵中学校」が発足した。中学校の定員は3クラス140名、高校の定員は4クラス180名(40名を外部から募集)であったが、2000年(平成12年)には高校からの募集を停止し、完全な中高一貫校となり現在に至る。2014年現在、募集定員は4クラス160名となっている。

旧制武蔵高校は、山本良吉教頭(当初)の主導の下、英国のパブリックスクールを模範とし、一学年の定員80人で純粋培養・少数精鋭の知的スパルタ教育を掲げ、当時流行していた野球を禁じ、猛勉強を推奨した。それゆえ東京帝国大学合格者数では及ばないまでも進学率で旧制第一高校、旧制東京高校等と首位の座を争ったこともあった。しかし、厳格な成績評価による留年、スパルタ教育から離脱する生徒の退学が相次ぎ、当初の入学者数が卒業時には半数以下の38人になる年もあった。

元々は「東京高等学校」という名称になる予定だったが、官立で東京高等学校を設立することが決定され、名称を譲渡して欲しいとの申し入れを受け、東京府の旧国名から「武蔵」と命名された。

交通アクセス
都営地下鉄大江戸線新江古田駅徒歩7分
西武池袋線江古田駅徒歩6分
西武池袋線桜台駅徒歩8分
西武有楽町線新桜台駅徒歩5分

施設

濯(すすぎ)川はもともと千川上水の分水であったが1970年代までに孤立し、現在はポンプによる循環式である。
中学・高校としては東京都内でも最大規模のキャンパスを持つ。キャンパス内の自然の多さが特徴で、緑の多さは武蔵野の面影を今に残し、キャンパス内に濯(すすぎ)川という小川が流れている(現在は人工河川となっている)。名称は『楚辞』の「漁父」に因む。以前は同川の流域を中心にニワトリやアヒルが敷地内に放し飼いにされていたが、現在では愛好会であった「豊作会」の消滅とともに姿を消した。校歌にも謳われる大欅は樹齢200年を数える大木で、大学3号館の中庭にある。

1928年落成・約1000名を収容する大講堂は、大隈講堂・日比谷公会堂などを手掛けた佐藤功一により設計された。しばしばテレビドラマや映画の撮影などに使われており、2011年に全面改修工事を完了している。佐藤は1923年に竣工した校舎も設計しており、これは現在の武蔵大学3号館となっている。

体育館にはバスケットボールコート2面の他に、剣道場、合気道場、卓球場やトレーニングジムがある。その他にテニスコート5面(クレーコート2面、ハードコート3面)を有する。2007年に人工芝化された2面のグラウンド、屋外プールも設置されており、これらは中高専用設備である。また、大学と共用の屋内温水プール(水深自動調整可)なども利用している。

2004年に完成した図書館棟には高中図書館があり、蔵書は7万冊。また、武蔵大学の大学図書館および洋書プラザは高中図書館より移設されたものを多く含む65万冊の蔵書を有し、中高生の利用が可能である。理科関連施設として実験室5室、太陽観測所、気象観測所、標本庫、菜園などを有している。理科設備は特に充実しており、電子顕微鏡・双眼実体顕微鏡・偏光顕微鏡や屈折望遠鏡、観測ドームなどの先進設備を有する。

その他、校外施設として埼玉県秩父に32,000m²の学校山林、群馬県赤城に青山寮、千葉県外房に鵜原寮、長野県八方尾根に武蔵山荘などを有する。

校風

自由な校風で知られる本校は、制服は無く校則における禁止事項もほとんど無い。戦前においては制服・制帽の着用が義務付けられており、ほとんどの旧制高校の制帽には白線が巻かれていたが、白線は巻かないよう取り決められた。ほかに白線を巻かない制帽を採用した旧制高校には成城高校などがあるが、成城高校においてこれに反発した生徒が「白線運動」を起こしたように、これを歓迎しないものもいた。戦後、白線に関する議論が浮上し、その結果として服装規則が撤廃されることが決定され、現在に至るまで私服校として続いている。また、校則で定められている禁止事項は自動二輪・三輪・四輪による通学や校舎内での下駄履き、麻雀などごく限られている。自動二輪・三輪・四輪による通学禁止は「駐める場所がないから」、校舎内での下駄履き禁止は「うるさいから」とされ、書くべき校則があまりにも少ないからという理由で生徒手帳の類いはない。

徽章のデザインは、当時東京美術学校の生徒であった一木の次男が原案を作成し、伊東忠太と新海竹太郎の協力により完成されたもの。『続日本紀』の「神護景雲二年武蔵国献白雉」に因み、白雉をモチーフにしている。

旧制高校時代の寮歌には「武蔵讃歌」や「惜別の譜」があり、前者は新制高校および大学でも校歌とされている。詳しくは寮歌の一覧も参照されたい。しかし「武蔵讃歌」などは、現在の生徒の間では、歌詞の内容の認知度などが低いのが実情である。
水投げかつて、上級生が「歓迎」と称して、水を入れたビニール袋や水風船を新入生の教室に向けて投げこむいたずらが、4月の恒例となっていた時期があった。水投げの被害によって授業が中断したことも多々あり、現在では事実上禁止されている。その様子は大岡玲の芥川賞受賞作「表層生活」の中にも登場する。

教育

授業では、科目によっては文科省指定教科書をほとんど用いず、オリジナルのプリントや文庫本等を教材にする。一部科目では高校レベルを大きく超えた内容も扱うなど、教養教育が大きな特徴。また、夏期休暇前に行われる特別授業や、高校1年の総合講座では科目編成にとらわれない実習や講演が開かれる。

語学教育は、英語では CALL (en:Computer-assisted language learning) を取り入れるなど、先進的手法の導入に積極的である。また、中学3年より全員(高校からは選択者のみ)が週2時間の第二外国語(ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語から選択)を学んでおり、交換留学を行っている。2009年にはテンプル大学ジャパンキャンパスとの教育・学術上の連携に関する基本協定を締結し、英語教育に関する様々な連携事業が行われている。

1988年に3名の国外研修生が派遣されて以来、国外研修制度によって各国の提携校と交換留学の機会を提供している。現在ではイギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・中国・韓国の6カ国11校と提携している。本校からは毎年十数名の生徒を派遣するとともに、提携校からの生徒受け入れを行っている。双方、長い場合2ヶ月程度ホームステイをしながら授業を受ける。イギリスのイートン・カレッジもかつて提携校の一つであり、教員の派遣やサッカーの交流試合も行われたが、2010年度より廃止されている。

創立者の意向により、学業・人物ともに優秀な生徒には卒業時に「根津賞」が贈られる。また、生徒の自主研究活動に授与される「山川賞」「山本賞」という表彰制度があり、それぞれ理科的研究・文化的研究に与えられる。その他、課外の研究活動に対して研究費用の一部を補助する野外研究奨励基金が設けられており、生徒の自主的活動への援助を惜しまない校風が実際的な制度としても現れている。また、高校から海外の大学に直接進学する際の海外直接進学奨学金を設置している。
入学試験中学入試問題は創立当初から記述力・発想力を問う形式で、一般的な入試問題とは一線を画している。応用問題のみで構成される算数、字数制限なしの論述問題が出題される国語、高いテーマ性を持った社会、「観察問題」の出る理科など、全ての科目が特徴的。高校からの募集は2000年に停止され、以後実施されていない。ムサシ・テンプルREDプログラム5年間で1380時間に上る英語による課外授業を提供し、英語圏の大学への進学を目標としたプログラム。プログラムの開発においてはテンプル大学ジャパンキャンパスと連携し、本校以外の生徒にも授業を開放する。本格的な開講は2014年8月の見込みであるが、2013年の8月に試験的なサマープログラムが開講された。国内の大学進学実績のみをもてはやす日本の中等教育界に一石を投じる事業として注目を集めている。

部活動

学内には12の運動部、13の文化部の他、同好会、愛好会、研究会、報道班、放送班があり、広大な校地と豊かな設備を利用して自由闊達な活動が行われている。

運動部にはサッカー部、バレーボール部、バスケットボール部、山岳部、卓球部、軟式テニス部、硬式テニス部、水泳部、野球部、剣道部、陸士競技部、合気道部などがある。文化部は、太陽観測部、気象部、音楽部、民族文化部、物理部、化学部、地学部、生物部、将棋部、E.S.S、鉄道研究部、奇術部、ジャグリング部などが活発に活動している。

また、個人レベルにおいても国際数学オリンピックや国際化学オリンピックでのメダル獲得を筆頭に、多様な分野での自主的な活動が行われている。
太陽観測部1931年より活動を開始し、80年以上にわたって太陽黒点の観測を続けている。この功績が認められ、2005年に日本天文学会より中学・高校の団体としては初の天文功労賞を受賞。また、複数のOBが探査機はやぶさ・あかつきプロジェクト等の主要メンバーであることから、マスコミに取り上げられることも多い。
学校行事[編集]
記念祭4月末。現在、他の中学校や高等学校でいう文化祭に相当するもの。旧制高校にあっては開寮ないし開校記念日にこのような催しが開かれることが通例であり、記念祭と呼ばれていた(一高と三高では紀念祭という表記が好まれる)。この時期に文化祭を行う学校が少ないこともあり、毎年多くの来客で賑わう。体育祭9月末。例年、球技のトーナメント + 組対抗の大会 + 予備日の3日間で構成される。天候により日程が変動するので、見学を希望する場合は事前に問い合わせるのがよい。強歩大会2月中旬。小委員会が山地や住宅地に設けたコース(20~30km)を歩く。開催地は毎年異なる。教職員には人気があるが、生徒からの支持は必ずしも高くない。山上学校中学1年生全員を対象として赤城の青山寮にて開かれる夏期学校(林間学校)。生徒自らがコースを決定して登山を行うことで、自立性を養う。海浜学校中学2年生全員を対象として外房の鵜原寮にて開かれる夏期学校(臨海学校)。遠泳や着衣泳、サーフィンを行う。
記念祭、体育祭、強歩大会の3行事は特に武蔵三大行事と呼ばれており、いずれも選挙で選ばれた小委員長を中心として生徒が主体となり計画・実行される。教員の介入がほぼ存在せず、生徒側に一切の意思決定を認めていることから、生徒には高い自律性が期待されている。

上記の他、箱根で行われる地学巡検、清里高原にある国立天文台野辺山宇宙電波観測所で宿泊で実施される天文実習や、1940年より続いている、秩父に保有する学校山林への山林遠足、希望者向けの長野(志賀高原)でのスキー教室、国語の授業の一環として行われる歌舞伎教室(歌舞伎鑑賞教室)など、多くの校外学習が行われている。なお修学旅行は、以前は奈良へ行っていたが、集団の中に個人の責任が埋没するということに加え、他の形で代替可能であるなどの理由から、1978年に廃止された。

学校関係者

学校関係者の一覧については「武蔵中学校・高等学校の人物一覧」を参照
関連組織武蔵会 - 同窓会組織

関連学校
武蔵大学 - 1949年に開学した武蔵大学とはキャンパスを共有し、同一学校法人により経営されている。学校側は中学・高校・大学を総称して「武蔵学園」と呼称し、学園長を設けており、高校に同大進学希望者を対象にした推薦枠が存在しているが、大学と高校は附属校の関係にはない。




稲城市立稲城第一中学校

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稲城市立稲城第一中学校(いなぎしりつ いなぎだいいちちゅうがっこう)は、東京都稲城市百村にある公立の中学校である。

沿革

1947年(昭和22年)5月13日 - 東京都南多摩郡稲城村立稲城中学校として開校
1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行、東京都南多摩郡稲城町立稲城中学校に改称
1971年(昭和46年)11月1日 - 市制施行、東京都稲城市立稲城中学校に改称
1972年(昭和52年)4月1日 - 稲城市立稲城第二中学校開校に伴い、東京都稲城市立稲城第一中学校に改称
1977年(昭和55年)4月1日 - 稲城市立稲城第三中学校を分離

校区

百村の一部
東長沼の一部
大丸の全域

交通

京王電鉄相模原線 稲城駅から徒歩10分
JR南武線 稲城長沼駅から徒歩12分

出身者人物一覧

石川良一 - 稲城市長
石坂わたる - 中野区議 2007年
黒田雅之 - プロボクサー





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