概要
雙葉中学校・高等学校の設立の源流は、17世紀半ばのフランスに遡る。当時フランス国内は貧富の差が激しく、宗教戦争などで混乱していた。貧しい家庭の子どもたちは社会の誰からも顧みられておらず、教育も受けずに打ち捨てられていた。ミニム会修道士ニコラ・バレ神父 (1621-1686) はそのことに心を痛め、彼らが神の子の尊厳にふさわしく育つのを助けるため、1662年、無料の小さな学校を始めた。評判を集め、読み書きや手仕事、お祈りなど、塾のような学校があちこちにできたという。さらに能率を上げるため、いくつかをまとめ、役割分担をし、そこで教師として働く修道女(シスター)たちのためのサンモール修道会(1991年に「幼きイエス会」と名称変更)を2年後に設立した。バレ神父は、後に、「貧しく、うち捨てられた子どもを受ける者は、まさに、イエス・キリストご自身を受けることになる。これこそ、本会の第一の、そして主要な目的である。」と書いた。女教師達が社会の人々の必要に応じてどこにでも出かけて行くことができるようにと、誓いを立てず恒久的な持ち家も持たない、革新的なグループであったという(当時、女子修道院はすべて隠世大修道院であり、誓願を立てた修道女はその敷地の中だけで暮らすことになっていた。)。会員の生活を保障するものは、神の摂理だけである。
1872年(明治5年)、「キリシタン禁制の解かれる希望が見えてきた。今すぐ宣教女に来てほしい」というベルナール・プティジャン司教からの要請に応え、メール・マチルド他4名のシスターが修道女としては初めて横浜に来日した。当時横浜には捨て子や孤児が多く、山手居留地58番に外国人子女教育および貧困孤児養育事業を開始。山手居留地83番に「横浜修道院」、また「仁慈堂」(じんじどう)と名付けられた孤児院を開設した。「仁慈堂」は350人もの子供と80人の乳幼児を収容。1875年(明治8年)正式な孤児院として認可、1900年(明治33年)山手88番に一般の子女を対象にした横浜紅蘭女学校開校、現在の横浜雙葉の前身となる。孤児院は1902年普通教育を授ける菫(すみれ)女学校となったが、関東大震災で横浜紅蘭女学校と共に壊滅。菫女学校は東京に移り、太平洋戦争開戦によって歴史を閉じることになる。
東京においては、1875年(明治8年)築地明石町に語学学校を設立、現在の雙葉学園の前身となる。1909年(明治42年)、築地明石町に雙葉高等女学校を設立(初代校長はメール・セン・テレーズ)。翌年、現在の四谷の地に移転するとともに雙葉小学校・幼稚園を設立した。
メール・セン・テレーズは、カトリックの教義を教えるというよりも、立派な日本婦人を育てたい、よい母親をつくりたいという思いが強くあった。母親がよければ家庭はよくなり、家庭がよければ地域はよくなり、地域がよければ国がよくなって世界もよくなるという、たいへん高い理想を持っていた。「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓を大事にして、素直で明るくて裏表がなく、さわやかな品性を備え、人間としてやるべきことを責任を持ってやり抜く強さを持った女性を育てたいという強い気持ちを持っていた。
校名の「雙葉」はフタバアオイから取られた。サンモール修道会が1897年(明治30年)、東京の赤坂葵町に語学塾(英語・フランス語・西洋作法・西洋技法)を開き、その町名から「雙葉会」と名付けた。フタバアオイは2枚の葉をつける。それと同じように、西洋女子と日本女子が手を携えてほしい、との願いが込められた。キリスト教を迫害した徳川氏の紋章でもあり、感慨深いとも書かれている。
創立以来、カトリックの精神に基づき、一人一人を大切にし、個の無限大の可能性を引き出し、神に与えられたその人ならではの使命に気付かせる教育を行っている。
設立の経緯から現在でもフランス語教育は重視され、中学3年で全員がフランス語を週1.5時間学ぶ。高校では、英語またはフランス語を選択履修する(フランス語選択者は例年15人程度)。
高校からの募集は行わない完全中高一貫校。幼稚園から40名、小学校から40名、そして中学校から100名が入学し、中高では1学年180名となる。
沿革
1872年(明治5年) - ベルナール・プティジャン司教の招きにより、サンモール修道会(幼きイエス会)の会員5名がフランスより来日、布教と教育慈善活動を横浜で開始
1875年(明治8年) - 東京に築地語学校を開校し、教育と共に身寄りの無い老人や孤児の世話などのボランティア活動も開始。この語学校が雙葉学園の前身となった。
1909年(明治42年) - 初代校長メール・セン・テレースが私財で現在の地を購入し、ルネサンス建築の優雅な木造2階建ての校舎を建造。雙葉高等女学校創立。
1910年(明治43年) - 雙葉女子尋常小学校、同附属幼稚園設立
1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦の空襲により、全校舎完全焼失。翌年木造の仮校舎完成。
1947年(昭和22年) - 学制改革により雙葉中学校設立
1948年(昭和23年) - 雙葉高等学校設立
1952年(昭和27年) - 本建築により鉄筋4階建て校舎完成
1999年(平成11年) - 校舎全面改築に入り、2000年(平成12年)12月に地下1階・地上7階の本校舎と講堂が完成
通学手段
鉄道:中央線・総武線・丸ノ内線・南北線 四ツ谷駅から徒歩4分以内。
制服
冬服:セーラー服
夏服:セーラー服
※ 中高共通で、冬は黒タイツ、他の時期は白ソックスを着用。カーディガン・セーターの着用も可能。また、学年ごとに校内靴の靴紐の色が決められており、中1→赤、中2→ピンク、中3→緑、高1→黄色、高2→水色、高3→紫、となっている。
施設
2000年(平成12年)に新校舎が完成した。プールと食堂はない(条件付きでパン販売がある)。
教育・カリキュラム
週6日制である。
先取り授業が行われており、中3の2学期から高校の内容が入ってくる。
能力別クラス編成などは一切行われていない。
各学年で週1回聖書の時間がある。
語学教育
雙葉小学校では英語がカリキュラムに組まれているため、雙葉中学からの入学生は、英語だけは中1の間だけ別クラスとなり、さらに週1回の補習が行われている。中学からの入学生はまっさらな状態から、たいへんな速度で追い付くという。
暁星・白百合・雙葉・カリタス・聖ドミニコなどの学校から「フランス語フェスティバル」が毎年開催されている。
クラブ活動
クラブは、主に班・会・部の3種類に分かれており、原則として活動時間は、班は土曜日の4時限目(学活・HRの無い週)、文化系の部は土曜の4時限目と他日の放課後、運動系の部は土曜4時限目以外、会は土曜の4時限目以外の放課後となっている。
文化系
生物班
化学班
理科班
天文班
料理班
美術班
書道班
手芸班
歴史研究班
民族文化研究会
管弦楽同好会
百人一首の会
点訳奉仕会
英語会
園芸会
数学研究会
漫画研究会
囲碁同好会
創作同好会
茶道会
手話の会
笑う会
新聞会
映画研究会
軽音楽部(中3から入部可能)
映像研究部
演劇部
英語演劇部
音楽部
運動系
卓球班
バスケット班
バレー班
陸上同好会
テニス部会
ダンス同好会
卓球部
バスケット部
バレー部
著名な出身者
正田富美子(正田英三郎夫人、皇后美智子の実母)
初代水谷八重子(女優)
田中千代(ファッションデザイナー / 田中千代学園創設者)
阪口美奈子(女優)
2代目水谷八重子(女優 / 襲名前は水谷良重)
真行寺千佳子(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻准教授)
山田敦子(NHKアナウンサー)
寺田朗子(国境なき医師団日本元理事)
朝倉匠子(美容研究家、タレント / エイジングスペシャリスト)
かたせ梨乃(女優)
川上弘美(小説家)
毬谷友子(宝塚歌劇団卒業生、女優)
城妃美伶(宝塚歌劇団花組娘役)中学校のみ
井上由里子(神戸大学教授、無体財産法)
鈴木美潮(読売新聞文化部記者)
南夕花(女優、タレント / 俳優山城新伍と女優花園ひろみの娘)
小堀馨子(歴史学者、宗教学者)
王理恵(スポーツキャスター / 王貞治の娘)
いとうあさこ(お笑い芸人)
真瀬樹里(女優/俳優千葉真一と女優野際陽子の娘)
結城公美子(港区区議会議員、モデル)
村松えり(女優)
KIKI(モデル、女優)
江崎史恵(NHKアナウンサー)
高橋真麻(アナウンサー / 俳優高橋英樹と元女優小林亜紀子の娘)
藤咲理香(モデル、タレント、女優)
木幡和枝(研究者、翻訳家、東京芸術大学教授)
系列校
学校法人雙葉学園雙葉小学校 (東京都千代田区)
雙葉小学校附属幼稚園 (東京都千代田区)
姉妹校(同じ設立母体による別法人)田園調布雙葉学園
横浜雙葉学園
静岡雙葉学園
福岡雙葉学園