概要
本校の起源は、旧制東京高等学校尋常科3年に、新たに尋常科1、2年生を募集して、1948年(昭和23年)に発足した東大附属学校である。2008年(平成20年)に創立60周年を迎えた。
翌年、東京大学に教育学部が創設され、同附属学校は1951年、「東京大学教育学部附属中学校・高等学校」が正式名称となった。その後、2000年4月1日に中等教育学校に移行し、旧中学校を前期課程、旧高等学校を後期課程とし、学年は高1・高2・高3がそれぞれ4年・5年・6年となった。学期は大学と同様の2学期制であり、4~9月が前期、10~3月が後期となっている。
東京大学教育学部の研究学校として、中高一貫校(6年一貫カリキュラム)の研究、総合学習の実践研究、双生児(3つ子を含む)生徒の研究など、教育学研究も行われている。とくに中等教育機関における双生児研究は世界的にも珍しい。そのため入学検査には双生児枠があり毎年1組~10組程度が入学している(1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男子20名以内、女子20名以内が双生児枠)。
沿革
1948年(昭和23年) 5月30日 - 学制改革に伴い、「東京大学附属中学校」(新制中学校、男子校)として発足。
1949年(昭和24年)- 男女共学が始まる。公開抽選で入学者選抜を行う。「東京大学附属高等学校」が開校し、中高一貫教育を開始。
1950年(昭和25年)- 東京大学教育学部が発足。
1951年(昭和26年)- 教育学部に移管され、「東京大学教育学部附属中学校・高等学校」と改称。
1953年(昭和28年)- 双生児募集枠を設け、双生児男子10組、女子10組の募集を開始。
1955年(昭和30年)- 高校への自動的進級の改定(学年の10%以内を進学不許可とし、補欠募集を実施)。
1966年(昭和41年)- 高等学校の補欠募集を停止し、2-2-2制を採用し、完全中高一貫教育体制となる。「特別学習」を開始。
1980年(昭和55年)- 入学者選抜方法を、抽選後に学力検査の実施と改訂。
2000年(平成12年)- 中等教育学校に移行し、「東京大学教育学部附属中等教育学校」と改称。
2001年(平成13年)- 総合教育棟が完成。
教育目標
「未来にひらく自己の確立」
豊かな人間性
自主的な思考と判断力
のびやかな表現力
校風
前期生には制服があり、後期生は頭髪・服装の指定はないため、私服で過ごす事も出来る。なお、校則では以下のような規定がある(平成18年4月1日発行 生徒心得 44.)。
1.バッジをかならず左えり(または左胸)につけること。
2.まわりの人々に不快感を与えない清潔な服装であること。
3.学校の生活に適した、機能的で安全な服装であること。
4.いたずらに流行を追わず、華美でない服装であること。
教育
特別学習が1966年度より40年以上にわたり行われており、1・2年生で総合学習入門、3・4年生で課題別学習、5・6年生で卒業研究をそれぞれ履修する。特に卒業研究については高い評価を得て毎年大学のAO入試に使用する生徒も存在する。進度別授業なども取り入れられている。
5年生は7月に宿泊研修があり、北海道・大和・広島の3コースから1コースを選択。北海道コースは北海道にある東京大学の演習林にて林分施業法や森の生物について学習する。大和コース・広島コースはそれぞれの歴史や文化を学習する。
大学の協力により近年「数学特論」や「臨床心理学」などの特別講義も導入されている。
設備・施設
小規模な野球場、300mトラック、サッカーコート(人工芝)、プール、テニスコート2面、バレーボールコート2面の運動施設が設置されており、東京都内有数の広い施設を有する。夜間照明は無いため、夜間の利用はできない。2004年度卒業生の運動により、2005年夏より全教室に冷暖房完備されている。
購買部ではなく、東大生協が設置されている。
ソーラーパネルを導入し電力供給に寄与している。
著名な関係者
元教員
左巻健男(化学)(法政大学生命科学部環境応用化学科教授)
縣秀彦(地学)(国立天文台天文情報センター助教授)
仲田紀夫(数学)(埼玉大学教授)
笠原十九司(社会)(都留文科大学教授)
吉川行雄(数学)(弘前大学,山梨大学教授)
出身者
大竹まこと(タレント)大竹オサム(ジャーナリスト、漫画原作者、料理人)兄弟
新田太郎(芸能プロダクション「サイアン・インターナショナル」代表取締役。夏目漱石の兄直矩の孫)
水野真紀(女優)
所在地
東京大学中野キャンパス(旧制東京高等学校の敷地)内にある。東京大学海洋研究所が所在していたが、2010年4月に柏キャンパスに移転統合した。