概要
1918年に中島久万吉らが実業界の人材育成を目的とした実務学校として創立。その後、1924年に池袋児童の村小学校の創立者である野口援太郎が学園長に就任し、同小学校の中等部と位置づけて「城西学園」に改組、大正自由主義教育の実践校となる。 城西大学と冠しているが、本校の設置者は学校法人城西大学ではなく、同大学の系属校としての位置づけである。(城西大学は1965年、当時の大蔵大臣水田三喜男と校長の新藤富五郎によって設立されており、城西高等学校の方が創立は先である。城西大学への進学枠は確保されている。 城西放射線技術専門学校が同一敷地内に設置されている(但し夜間専門学校のため交流はほとんどない)。創立記念日は6月18日。総生徒数は中学・高校を合わせて1050名前後(2011年現在)。
教育目標
建学の精神「報恩感謝(恩に報い、感謝の念を忘れない)」の念を発揚して、独立自尊・恩愛に報い、心身ともに健康で社会の発展に奉仕する人材の育成をはかる。
大正自由主義教育の理念に基づき、人類愛に根ざした「天分の伸長」「個性の尊重」「自発活動の尊重」「人間の尊厳」「平等主義」を掲げている。
特色
学級をコース別、能力別、文理別にせず、学力や男女比などあらゆる要素を均等化した「自然学級編成」を全ての学年で行っている。高校1年次は中学からの内部進学者も高校からの入学者も同一クラスに編成されている。
学級編成による文系クラス、理系クラスの区分を行わない代わりに高校2年生から科目選択制を取り入れている。高校3年生はカリキュラムの約半数の授業が文理別、習熟度別の選択科目となっている。
文部科学省の指導要領改定に伴い2012年度入学者からカリキュラムやクラス編成が変更される予定。
CS(Culture and Sports)クラスが2012年度より高等学校に新設。野球、陸上で全国大会を目指す生徒や各種芸能活動を行う生徒を所属させ、活動を支援している。2013年度より中学校にGA(Global Arts)クラスが新設。副担任にネイティブの外国人教師を配置し、実技科目の一部を英語で実施する。自然学級編成は高校1年時までとなり、高校2年からは文理別にクラス編成がなされている。
沿革
1918年 - 城西実務学校設立(設立者・中島久万吉)
1925年 - 城西学園に改称 池袋児童の村小学校の創設者野口援太郎が学園長に就任
1927年 - 城西学園中学校に改称
1948年 - 城西高等学校に改称
1965年 - 城西大学設立(城西大学の副学長に当時の校長である新藤富五郎が就任する)
1973年 - 城西大学附属城西高等学校に改称
1991年 - 中学校再開
2004年 - 新校舎運用開始
主な部活動
硬式野球部 1974年、1979年夏に全国高等学校野球選手権大会に出場。1974年は3回戦、1979年はベスト8に進出している。
陸上部 2009年より現役を引退したシドニーオリンピック元日本代表選手、山村貴彦が保健体育教諭、顧問に就任。以降、国体や世界ユース大会での成果を挙げている。
進路
系列の城西大学、城西国際大学、日本医療科学大学へ進学を希望する生徒は全体の15パーセント程度であり、多くの生徒は系列以外の他大学、専門学校に進学を希望している。ただし医・歯・薬・看護など医療系学部を志望する生徒が多いため城西大学薬学部には例年10~20名内部進学している。
主な卒業生
ウルフ隼人(元キックボクサー)
高橋慶彦 (元プロ野球選手)
小泉泰重(元プロ野球選手)
山田潤(元プロ野球選手)
矢島正徳(元プロ野球選手、米独立リーグ)
水森かおり (歌手)
橋幸夫 (歌手)
つのだ☆ひろ (歌手)
大泉滉 (俳優、中退)
木の実ナナ (歌手、中退)
野々村真 (タレント、明治大学付属中野高等学校定時制へ編入)
水町レイコ(女優)
吉田豪(プロインタビュアー)
有末麻祐子(モデル・タレント)
大谷清美(群馬テレビアナウンサー)
梶田昭(医学博士)
三武潤(陸上中距離選手)
寺沢功一(ミュージシャン)
交通
要町駅(東京メトロ有楽町線・副都心線)より徒歩6分
椎名町駅(西武池袋線)より徒歩7分
関連校
城西放射線技術専門学校
学校法人城西大学 城西大学
城西国際大学
城西短期大学
学校法人城西川越学園 城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校
学校法人城西医療学園 日本医療科学大学