概要
1学年の生徒数は中学300名、高校400名となっている。 「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。 校風は質実剛健。運動会・水泳学校・ボートレース・マラソン大会などの硬派な行事が開成の特徴を表している。
初代校長は元総理大臣・大蔵大臣の高橋是清。
東京大学合格者数が33年連続で首位(1982年 - 2014年)である(#進学実績も参照)。
沿革
1871年、加賀藩の洋学・砲術・海洋学の講師から小石川造兵司頭になった佐野鼎らによって神田相生橋(現 神田淡路町)に共立学校(きょうりゅうがっこう)として創立された。この時代の卒業生に高田早苗らがいる。佐野の死後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門の教師をしていた高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任し、大学予備門への進学者のための寄宿制の受験予備校として改革、英学科と和漢学科の二科の三年制(予科1年、本科3年)と定めた。是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。以降も、東京英語学校(現・日本学園中・高)や成立学舎などとともに、一高への合格者数上位校として知られていた。
1886年および1891年の中学校令公布により、1府県1中学以上と定められたことで、東京に受験生が集まらなくなった私立各校は軒並み経営が傾いた。そのためもあって1891年の尋常中学校令により尋常中学共立学校と改組・改称。さらに、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中学(現・都立戸山高校)が、次いで共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。「開成」という名称は、易・繋辞伝(けいじでん)にある「夫易開物成務」という言葉が由来である。
まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったこともあって、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1903年には開成夜学校を併設。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。
また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと。1920年に初めて行われた東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。
交通アクセス
JR山手線・東京メトロ千代田線西日暮里駅より約100m(徒歩1分)
東京都交通局日暮里・舎人ライナー西日暮里駅より約300m(徒歩4分)
東京都交通局・都営バス草63系統・里48系統西日暮里駅バス停 なお、西日暮里駅の開業(営団地下鉄は1969年、国鉄は1971年)までは国鉄田端駅(約800m)と国鉄・京成電鉄日暮里駅(約900m)が最寄り駅だった。
校風・特徴
学校の方針に基づき、行事や部活動の運営・管理は生徒に任せられる。特に運動会や文化祭においては教員が行うことはほとんどない。
高3の運動会を終えて本格的な受験勉強を始めるという生徒が大半で、学校側もそれに合ったカリキュラムを組んでいる。
運動会では中1から高2までをすべて高3が指導するので、入学当初から常に上下関係を重んじる体質となっている。
進学実績[編集]
2014年度の大学合格者数(浪人含む)は、東京大学が158名(うち157名が進学)、慶應義塾大学が191名(うち50名が進学)、早稲田大学が225名(うち33名が進学)である。
関東圏以外の大学への進学は少なく、京都大学は合格者3名(うち2名が医学部医学科)である。
年間行事
4月 - ボートレース
5月 - 運動会
7月 - 水泳学校
9月 - 文化祭(開成祭)
11月 - マラソン大会
2月 - 中学・高校入試
ボートレース
1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高校のボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。平成に入って以降7勝19敗と大きく負け越しているが、2010年から2012年に3連勝している。2014年現在の通算成績は43勝43敗である。
運動会
例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。生徒運営の「運動会準備委員会」、「運動会審判団」、「運動会審議会」の下、高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。中高合同で行われ、高校はクラスごと(1組から紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒と色が割り振られる)、中学は各クラス5・6人ずつ縦割りで前述の8組に分ける(中学は6クラスのため)。各組の運営は高3に委ねられ、下級生の指導も高3が行う。
水泳学校
毎年7月、千葉県館山市の施設で中1が全員参加する。
文化祭
毎年9月に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークル、有志などが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。一部の運動部はグラウンドや体育館を利用して招待試合を行う。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はない。
多くの生徒は高2の文化祭から12月にかけて部・サークル活動を引退する。そのため文化祭は代替わりの象徴的行事としての性格もある。高3は文化祭への参加は任意であるが、参加しないのが慣例となっている。
マラソン大会
荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5km、中2・3が6km、高校生は8kmである。
部活動・個人活動
学内には52の公式部、および15を超える同好会がある。運動部は運動会で利用される土の第2グラウンドや小体育館、小講堂、大体育館、テニスコートなどで活動する。硬式野球部では、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会で東東京大会のベスト16に入った。
文化部では全国大会で優秀な成績を収める例がある。俳句部は、俳句甲子園として知られる「全国高校俳句選手権大会」では17回大会のうち8回の優勝という好成績を収めている。他にも、国際数学オリンピックや国際化学オリンピックなど、高校生(中学生)を対象とした理数系の国際競技大会に、同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がある。近年では、日本テレビ系の「全国高等学校クイズ選手権」で第30回(2010年)・第31回(2011年)・第32回(2012年)と3連覇を達成している。また弁論部は全国中学・高校ディベート選手権に19回中11回出場し、19回大会では全国3位という好成績を収めた。
学校関係者と組織
関連団体
開成会 - 同窓会
高校関係者一覧
「開成中学校・高等学校の人物一覧」を参照
関連学校
開成から分離独立した学校
逗子開成中学校・高等学校(神奈川県逗子市) 1903年 - 第二開成中学校として創立
1909年 - 逗子開成中学校として分離独立
昌平中学校・昌平高等学校 1903年 - 神田淡路町の東京開成中学校内に開成夜学校として創立
1923年 - 関東大震災での校舎焼失を機に、1926年に神田駿河台に分離
1936年 - 昌平中学となる
1948年 - 昌平高等学校となる
1966年 - 募集停止し1979年に廃止
※東日本国際大学附属昌平中学・高等学校という学校が2000年、福島県いわき市に新設されたが、開成学園と人的・資本的な繋がりはなく、無関係。
開成の関係者が設立した学校
鎌倉女学院中学校・高等学校(神奈川県鎌倉市) 1904年 - 鎌倉女学校として創立
1948年 - 鎌倉女学院となる
関連文献
『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一編 1977年に発生した、同校生徒がその父親に殺害された事件を題材の一つにした著作。被害者となった生徒による家庭内暴力の継続が事件発生の原因とされ、マスメディアで大きく報じられた。
『開成学園 男の子を伸ばす教育』(小学館、2009年11月初版発行) - 芳野俊彦(発行当時開成中学・高等学校長)著
おおたとしまさ著『中学受験 注目校の素顔 開成中学校・高等学校 学校研究シリーズ001』(ダイヤモンド社、2013年10月17日初版発行)