概要
1950年開校。通称「市立(いちりつ)」。県立浦和高校と区別して「市立浦和」(いちりつうらわ)と呼んだり「市浦」(いちうら)と呼ぶ。浦和市時代の名称「浦和市立高等学校」の名残で「浦和市立」と呼んだりもする。生徒や卒業生、地元では「いちりつ」より「市高(しこう)」と呼ばれている。また、中学校は「市高」に対して「市中(しちゅう)」と呼ばれることが多いが、中学生徒からは「浦中(うらちゅう)」と呼ばれている。
近年、進学指導に力を入れ始めてから進学実績が大きく伸びており、東京大学を含む国公立大学に現役で100名を越す合格者を出した(うち埼玉大学には39名が現役合格)。2014年度に私立大学では慶應義塾大学20名、早稲田大学37名が合格し、明治大学・立教大学、中央大学、青山学院大学、学習院大学、法政大学の合計合格者数は335名となっている。
2007年には中高一貫校化。中学では、火曜日以外の1時限に、生徒1人につき1台の貸与されたパソコンを使いながら国数英の反復学習などを行うMorning skill Up Unit(通称 MSU)と呼ばれる授業が実施されている。土曜補習は平成23年度から土曜授業に変更となった。また、学習進度に違いがあるため、高校から入学する生徒とは別クラスの構成となる。
女子の制服はセーラー服で上着に薄く高校は紺色、中学は緑色のストライプ模様が入っている。また男子は黒の詰襟である。
MSU
Morning Skill Up Unitの略称。第1時限目の日課に国・数・英、20分間ずつ学習する。一人1台のノートパソコンを活用したe-ラーニングをベースとして、基礎学力の向上と豊かな教養を身につけることを目的とする。
沿革
1950年4月 - 浦和市立中学校(1940年4月開校)と浦和市立高等女学校(1943年4月開校)が統合されて浦和市立高等学校となる。
2001年4月 - 市の合併に伴いさいたま市立浦和高等学校となる。
2007年4月 - さいたま市立浦和中学校開校。
部活動
サッカー部 - 全国高等学校サッカー選手権大会で優勝4回、全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)で優勝1回を誇る古豪である。
野球部 - 第70回全国高等学校野球選手権大会(1988年)に初出場した。県大会ノーシードで、平均身長171センチ、県大会のチーム打率2割5分4厘は、ともに甲子園出場49校中最低であったが、1回戦から準々決勝まで佐賀商・常総学院・宇都宮学園(延長10回)・宇部商(延長11回)と対戦し勝ち進んだ。準決勝で優勝校の広島商に敗れた。
出身著名人
マスコミ
町亞聖 - フリーアナウンサー・元日本テレビアナウンサー、報道部記者
蓮見孝之 - TBSアナウンサー
陣内智衣 - フリーアナウンサー・元石川テレビ放送アナウンサー
那須洋子 - 元静岡第一テレビアナウンサー
鈴木ともみ - フリーアナウンサー・元ラジオNIKKEI記者
スポーツ
落合弘 - 元サッカー選手(三菱重工所属)、指導者、元サッカー日本代表
利根沢俊 - 元サッカー選手(日立製作所所属)
内田裕 - 元サッカー選手(日立製作所所属)
石井宏衛 - 元サッカー選手(日立製作所所属)
坂村岱 - 元サッカー選手(日立製作所所属、浦和クラブ所属)
守屋忠 - 元サッカー選手(古河電工、浦和クラブ所属)、元サッカー日本代表
金子功 - 元サッカー選手(八幡製鉄所属)
花岡英光 - 元サッカー選手(藤和不動産所属)、指導者
近江友介 - 元サッカー選手(日立製作所所属)、元サッカー日本代表
日高憲敬 - 元サッカー選手(新日鐵所属)、元サッカー日本代表
鈴木保 - 元サッカー選手(日産自動車所属)、指導者
清水秀彦 - 元サッカー選手(日産自動車所属)、指導者、解説者
田中孝司 - 元サッカー選手(日本鋼管所属)、指導者、元サッカー日本代表
堀之内聖 - サッカー選手(モンテディオ山形)
井上敦史 - サッカー選手(ガイナーレ鳥取)
大山俊輔 - サッカー選手(カターレ富山)
町田多聞 - サッカー選手(ソニー仙台)
門山哲也 - ハンドボール選手、ハンドボール日本代表(ノアシェラン ※デンマーク)
藤光謙司 - 陸上選手 (ゼンリン所属)
大山啓輔 - サッカー選手 (大宮アルディージャ)
文化・芸能
野島伸司 - 脚本家
紫峰七海 - 宝塚歌劇団
朝岡実嶺 - 女優
榎本一夫 - デザイナー
大野拓朗 - 俳優
政治
永瀬洋治 - 元川口市市長
武藤博 - 元上福岡市市長